フォークランド紛争に学ぶ、領土問題新連載・リアリズムと防衛を学ぶ(2/3 ページ)

» 2012年09月26日 08時00分 公開
[暁,リアリズムと防衛を学ぶ]

嵐の前の不景気

 戦争の背景は、アルゼンチン政権の不調です。

 当時のアルゼンチンは軍事政権で、軍人大統領のガルチエリが指導していました。しかし、経済の不調などによって国民の支持を失っていました。

 軍部はすでに5年間も政権の座にあって、国民の信頼が全くといって良いほど欠けていた。その上、経済は大混乱に陥り、民衆の騒擾が起こりそうな情勢で、軍の内部にすら不満が高まっていた。軍事政権は、何か成功に結びつけるものを求めていた。(『フォークランド戦争 鉄の女の誤算』37ページより)

 アルゼンチン国内では、国民の暴動が相次ぎます。このままではアルゼンチンの社会は混乱し、政権が危機に陥ります。アルゼンチンの政権は不安定になり、何らかの打開策を求めました。

 国民の不満は3月30日、過去6年間で最も激しい暴動となって頂点に達した。この日、マヨ広場で行われた労働組合のデモ行進が警察のむごい弾圧を受け、拘留者2000人、負傷者数百人という事態に発展したのである。

 こうした中で、マルビナス諸島をめぐる論議が、新聞にそれとなく情報を漏らす形で、積み重ねられていった。(『フォークランド戦争 鉄の女の誤算』42ページより)

 経済の不調。国民の不満。デモや暴動を繰り返す国民のエネルギーを、政権批判ではなく、別の方向に向けることが必要でした。もっと分かりやすい敵、国民を刺激する問題を思い出させてやるのです。頭上の政権から海の向こうへ、国民の怒りのターゲットを移す。そして「マルビナス諸島」を取り返すのだと強硬姿勢を見せれば、政権の支持率は高まるでしょう。

 国内の内圧が高まった時の領土問題はいわば「ガス抜き」でした。やがてガス抜きに火がつき、手に負えないほど燃え上がることになるのです。

断たれた退路

 強攻策に賛成したのは、大統領や軍部ばかりではなく、文民の外務大臣もそうでした。

 コスタメンデス外相は外交上の駆けひきの一つと考えていた。被害を最小限に抑えつつ上陸することができれば、マルビナスの主権の所在をアルゼンチン側に有利に運ぶことができると考えていた。(『フォークランド戦争 鉄の女の誤算』39ページより)

 あくまでも外交交渉の手札の1つとして、フォークランド諸島の中でも小さな無人島を選び、ささやかな上陸作戦を行うつもりだったようです。無人島に軍隊を上陸させて、英国の実効支配を弱めるつもりでした。

東フォークランド島サン・カルロス(出典:Wikipedia)

 ところが、そうはいきませんでした。

 ガルチエリ大統領が、官邸のバルコニーに立ち上がり、熱狂した広場の民衆に向かって、マルビナス諸島の土は侵略者に1メートルたりとも譲り渡すようなことはしない、と約束してしまったのだ。……さる外務省高官の話によると、「それまではすべてがおおむね計画通りに動いていたのに、大統領は民衆の熱気に煽られ、自分の手を縛るような約束をしてしまった」という。(『フォークランド戦争 鉄の女の誤算』39ページより)

 こうして外務当局が考えていた、カードとしての上陸作戦ではなく、武力で島々をすべて占領・奪回する大胆な賭けを、大統領は選びました。

あちら側、こちら側

 領土問題において、大衆も指導者も、しばしば「どこそこは歴史的にみてウチの国の正当な領土だ。だのに、あちらの国が不当にも……」と言います。でも、その時、国境のあちら側の人たちも、こちら側を指差して、似たようなことを言っているのです。

 お互い、相手が悪者だと思いたがります。時には、そうかもしれません。ですがたいてい、両者は、単にお互いに他者であるに過ぎないのです。

 フランスとスペインの境は、ピレネー山脈です。哲学者のパスカルは「ピレネー山脈のこちら側とあちら側では、真理もまた異なろう」と言ったそうです。

 国境が分かつものは、領土だけではないようです。

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