年利300〜1000%でもお金を借りる――そんな時代もあった「弱者」はなぜ救われないのか(3)(3/3 ページ)

» 2012年09月21日 08時00分 公開
[増原義剛,Business Media 誠]
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 現在の消費者金融の多くは1960年台、東京オリンピック前後の高度成長時代とともに出現したといわれる。通称「団地金融」ともいわれた無担保、無保証で借りることのできる小口の貸金業が、後に「サラリーマン金融」、いわゆる「サラ金」と呼ばれるものに発展していった。オイルショックの影響による経済低迷もあって、多くの借り手が生み出され、それにともなって問題のある貸し借りや、高金利で貸す業者の出現など、「サラ金地獄」という言葉も生まれるような状況になった。

 このため、業界はイメージを一新すべく名称を「消費者金融」と改めるとともに、100%を超えていた金利を何度かの改正で50%近くまで下げた。その後、犬や女性ダンサーなどを駆使したテレビCMに代表されるソフト戦略と簡便な利用を促進するATM戦略を打ち出し、再び貸し出しが大きく伸びることになった。

 ところが、こうした戦略によって再び利用者が急増した2000年に入ると、不況などの影響もあって派遣やフリーターが増加し、返済能力を超える借り入れをしてしまう多重債務者や自己破産者が増加、その一方で長者番付にオーナーが名を連ねる消費者金融業界に対して再度社会の厳しい視線が集中し、前述した改正貸金業法の議論につながっていった。

つづく

著者プロフィール:

増原義剛(ますはら・よしたけ)

1969年東大法学部卒業 大蔵省(現財務省)に入省。東海財務局長を経て退官。2000年衆議院議員に初当選(2009年まで3回当選)。以後、自由民主党においては税制調査会幹事、財務金融部会長代理、金融調査会小委員長等、政府においては総務大臣政務官、内閣府副大臣の要職を務める。2006年には、自民党政務調査会・金融調査会「貸金業制度等に関する小委員会」の委員長として、改正貸金業法の立法に携わった。現在は広島経済大学教授。


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