意味とは、言い換えれば夢や志、目的といったものである。それを成し遂げようと「決意する」とき、人は元気になる。元気とは、その字のごとく、その人の元のところから湧き起こってくる気だ。その人が本来の自分になるためのエネルギーだ。
何かとストレスが重くのしかかる昨今の仕事生活にあって、人びとはよく「癒やされたい」と願う。そして「癒やし」をうたう商品・サービスも花盛りだ。
しかし、「癒やし」は病気や傷を治すことであり、あくまでマイナスの状態をゼロに戻す手当てでしかない。“やまいだれ”が付く字であるのはそういうことだ。
いくら高価な「癒やし」の商業サービスを受けても、プラスゾーンに突入できるほどのエネルギーは得られない。通常のストレス負荷にさらされれば、すぐまたマイナスゾーンで疲弊することになる。
もちろん、疲れた心身に癒やしは必要である。だが、中長期にわたって、本当に元気になっていくために何が必要か、そこを考えなければ、いつまでも「ストレス負荷→癒やし・憂さ晴らし」のサイクルをマイナスゾーンでぐるぐる回る生活を続けるだけになってしまう。
では、本当に元気になるために必要なものとは何か──それは「決意」することである。意味を見つけ、そこに肚を決めて行動することが、人が一番元気になることなのである。
確かにそこにはストレス負荷が生じる。しかし、それは「良いストレス」である。学術的には、ストレスには2種類あり、何か建設的な目的に向かう時のストレスは「ユーストレス(eustress):良いストレス」であり、やらされ感のあるときのストレスは「ディストレス(distress):悪いストレス」となる。
また、時には失敗や挫折もあるだろう。だが、それは病的で不健全な落ち込みではない。自分を真の意味で蘇生させるための価値のあるプロセスとなる。苦しみのどん底にあっても、決意をした人間は「誓い」を立てることができるのだ。
「決意のある人生」と「決意のない人生」を図で表してみた。
「決意のない人生」(左側)は、疲弊ゾーンでこぢんまりと回るだけだが、「決意のある人生」(右側)は、元気ゾーンの住人となり躍動して回っていくこととなる。時にネガティブゾーンに入っていくが、それも人生の醍醐味の1つとして、許容できるほどの力強さを持つだろう。
作家の村上龍さんは『無趣味のすすめ』のなかで次のように書く。──「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクを伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している」。
ネガティブゾーンでこぢんまり生きるか。それとも、ポジティブゾーンで、大きな喜びも大きな苦しみも抱え込んでダイナミックに生きるか。それは、ひとえに「決意するか/決意しないか」による。(村山昇)
Copyright (c) INSIGHT NOW! All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング