“決意”が人を最も元気にする(1/2 ページ)

» 2012年09月19日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 NHK教育テレビ『100分 de 名著』が、この8月、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を取り上げた。その影響は大きなもので、あのような重苦しい作品が、すっとベストセラーにランクインした。日本人の読書欲もまんざら軟弱ではないなと思える一方、それだけ生きることへの漂流感が強くなっているのかもしれない。

 フランクルは、私も研修プログラムの中で頻繁に引用する人物で、「生きる意味」「意味が人間に与える力」を語らせれば、彼以上に説得力を持つ人はいない。なぜなら、第二次世界大戦下、あのドイツの強制収容所から奇跡的に生還したユダヤ人学者だからだ。あの絶望するしかない状況の中で、フランクルは生きる意味を自分に問いかけ、周囲に問いかけ、生き続ける意志を貫いた。

 フランクルの言葉を1つ引用しよう。

 「人間にとって第一に必要なものは平衡あるいは生物学でいう『ホメオスタシス』、つまり緊張のない状態であるという仮定は、精神衛生上の誤った、危険な考え方だと思います。人間が本当に必要としているものは緊張のない状態ではなく、彼にふさわしい目標のために努力し苦闘することなのです」(『意味による癒し−ロゴセラピー入門−』より)

 精神科医フランクルがたどり着いた結論は、人間の幸福は何も緊張がない穏やかな状態に身をひたすことではなく、意味に向かって奮闘している状態だということである。こうした行動主義的幸福観は、ほかの偉人賢人の考えとも共鳴する。

 「われわれが不幸または自分の誤りによって陥る心の悩みを、知性は全く癒すことができない。理性もほとんどできない。これにひきかえ、固い決意の活動は一切を癒すことができる」──ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』

 「人は意欲し創造することによってのみ幸福である。(中略)だから、行動を伴わない楽しみよりも、むしろ行動を伴う苦しみのほうを選ぶのである。(中略)登山家は、自分自身の力を発揮して、それを自分に証明する。この高級な喜びが雪景色をいっそう美しいものにする。だが、名高い山頂まで電車で運ばれた人は、この登山家と同じ太陽を見ることはできない」──アラン『幸福論』

 「人は軽薄の友である歓喜や、快楽や、笑いや、冗談によって幸福なのではない。むしろ、しばしば、悲しみの中にあって、剛毅と不屈によって幸福なのだ」──モンテーニュ『エセー』

 「丈夫(真の男)というのは、潔く玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志を曲げて瓦となってまで生きながらえるのを恥とする」──西郷隆盛『西郷南洲遺訓』

 こうしたことを受け、私は「幸福とは、自分が見出した意味に向かって坂を上っている状態」と拙著『プロセスにこそ価値がある』の中で定義した。私もまた、行動主義的幸福観をもつ者の1人である。

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