ダライ・ラマ14世の言葉から考える“企業の存在目的”MBA僧侶が説く仏教と経営(1/2 ページ)

» 2012年08月29日 08時00分 公開
[松本紹圭,GLOBIS.JP]

松本紹圭(まつもと・しょうけい)

1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。蓮花寺佛教研究所研究員。米日財団リーダーシッププログラムDelegate。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のWebサイト「彼岸寺」を設立し、お寺の音楽会「誰そ彼」や、お寺カフェ「神谷町オープンテラス」を運営。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。現在は東京光明寺に活動の拠点を置く。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。著書に『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社)、『「こころの静寂」を手に入れる37の方法』(すばる舎)、『東大卒僧侶の「お坊さん革命」』(講談社プラスアルファ新書)、『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー21社)、『脱「臆病」入門』(すばる舎)など。


 「Q.企業の目的とは何か?」

 「A.利益を生むこと」

 この古典的なやり取りにつきまとう違和感に、ダライ・ラマ14世が絶妙な例えで答えています。「ビジネスの役割は収益をあげることだと言うのは、人間の役割は食事や呼吸をすることだと言うのと同じくらい無意味です。損失を出す会社と同様、食事をとらない人間は死を迎えます。だからといって、人生の目的は食べることだということにはなりません」(『ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!』ダライ・ラマ14世、L・D・V・ムイゼンバーグ・著)。

 では改めて、企業の目的とは何か? ドラッカーはそれを「顧客の創造」と定義しました。これはこれで人の感性に訴える素敵な定義ですが、私はあえて「悟りエクスペリエンスの創造」と定義してみたいと思います。

企業がもたらすinvaluableな価値を最大享受するのは社員

 企業経営において「価値創造」が強調され始めてから久しいですが、この「価値」にはどのようなものがあるでしょうか。「顧客価値」「株主価値」、そして「社員価値」の3つに大別し、見てみましょう。

 まず、顧客価値。企業が提供するプロダクトやサービスの価値を決める主体として顧客があり、彼らの満足の度合いによって価値が評価されます。顧客価値は、モノや情報を通じて顧客に届けられる価値です。一部の書籍や映画など質の高い芸術作品は別として、基本的に届ける相手を「消費者」と想定して開発されたモノや情報から得られる顧客価値は、無論、精神的な満足も生じつつも、一義的には企業の利益に金銭的に結びつくvaluable(価格を有する)なものであって、invaluable(評価できないほどの、非常に貴重な)であることまでは望めないでしょう。

 次に、株主価値。その企業が現在そして将来どれだけの富を生み出すか、企業体の経済的価値を決める主体として、株主が存在しています。もちろん、人によっては企業のビジョンや理念に対する共感や期待もこめて投資をしますので、そこには経済合理性だけではない説明のつかない価値判断も反映されます。とはいえ、どんなに理念がinvaluableだからといって、株主価値がvaluableでない企業に対して投資することはないでしょう。

 そして、社員価値。プロダクトやサービスの価値を決める主体としての顧客、企業体の価値を決める主体としての株主が重視されることは多くとも、その企業で働く価値を判断する主体としての社員という存在が注目されるようになったのは、ごく最近のことです。それとていまだ、「社員が働きやすい環境を整える」といった、企業活動の周縁事項としてケアされる程度にすぎません。

 しかし、私はこの「社員価値」こそが企業が真価を発揮する場所ではないかと思っています。なぜなら企業体の活動において、そこで働く人たちこそが、その企業という場がもたらすinvaluableな価値を最大限に享受できる可能性があるからです。

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