鉄道会社が夏休みにもうける方法杉山淳一の時事日想(1/4 ページ)

» 2012年08月10日 08時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一の +R Style」を連載している。


 私の最寄り駅は、7月になると大きな七夕飾りが現れ、夏が来たなと思わせる。それから1カ月くらい経って、ちょうど今頃。改札口前の広場に子どもたちが行列を作る。これも夏の風物詩。JR東日本のポケモンスタンプラリーだ。この光景を見れば夏本番。子どもたちを見守る付き添いのお父さん、お母さんは汗だくで、なんともお気の毒……いや、子どもと遊ぶきっかけができて楽しそうである。

 私が知る限り、スタンプラリーという名のイベントを開催した最初の会社は東急電鉄だ。私が高校生の頃だ。通学の電車の中で中吊りやポスターを見て、あるいは実際にスタンプに並ぶ小中学生を見て、「やりたいなあ。でも子どもに混じって高校生が並ぶのもどうかなあ」と思った。ネットで調べると、東急電鉄のスタンプラリー第1回は1984年。私の記憶と一致している。

元は謝恩イベントだった?

 なぜ1984年の東急スタンプラリーが鉄道会社初かといえば、新聞やテレビで「初の取り組み」と話題になったと記憶しているからだ。鉄道会社は堅い職業で、お遊びイベントなどほとんどない時代だった。だからこそ、この試みが斬新で話題になったのだろう。私の鉄道好きを知る親や周囲の大人たちに「君はやらないの?」なんて言われた。やりたかったが、大人たちの語気に「高校生になって子どもの遊びはしないよね」という意図も感じられた。今思えば、高校時代の成績は悪かったし、勉強しろという圧力だったかもしれない。

 当時のスタンプラリーは、今のようにアニメやキャラクターとのタイアップはなかった。各駅のスタンプの内容も最寄りの名所などがテーマだったと思う。スタンプ帳を購入し、すべて集めると証明書とメダルをもらえたらしい。ませていた私は「労力と報酬が見合わないなあ」と思った。当時の東急としては、夏休みで空いている電車を利用した謝恩イベントのつもりだったらしい。沿線に住む子どもたちに楽しんでもらえて、子どもたちが動けば大人も動き、それらの人々の往来で駅前商店街も恩恵を受ける。一石二鳥である。

 もちろん東急電鉄側にも目論見はあっただろう。1984年は田園都市線が中央林間まで延伸し全線開通となった年である。その記念という意味合い。さらに、親子で田園都市線を訪れ、東急グループが開発した多摩田園都市の景色を見て、将来のマイホームプランに加えてほしいという気持ち。そしてなにより、すぐには黒字にならない延伸区間のぶんも、鉄道事業で稼がなくちゃいけない。夏休みでガラガラの電車に、普段用事のないお客さんに乗ってもらいたい。

 このイベントは盛況だったようで、80年代後半からは他の鉄道会社も追随してスタンプラリーを開催している。少し間が開いた理由は、東急が翌年、その翌年もスタンプラリーを続けて、やっと効果が認識されたからだろう。要するに、スタンプラリーは「駅からさんぽ」の子ども向け版と言えそうだ。

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