馬と人間が一番近い街、相馬野馬追を見てきた相場英雄の時事日想(震災ルポ南相馬編)(4/5 ページ)

» 2012年08月09日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

なにも変わらない過酷な現実

 出陣式を観終えたあと、私は家族とともに南相馬市の北部に位置する鹿島区から南部の小高区へとクルマで移動した(関連記事)

 途中、市内の道はあちこちで渋滞する。市内各所から騎馬隊が到着し、練り歩くためだ。市の職員や警察官が慣れた様子でクルマを誘導し、祭りの期間中は騎馬優先の態勢が徹底される。ここでも、馬と人の距離感が極めて近い。地元民にとっては、馬の息をごくごく間近で感じられることが当たり前なのだ。

 市北部の鹿島区から中心部の原町区を抜け、私は自家用車を旧小高区の海岸に向けた。5月に当欄で取り上げた津波の傷跡を家族と両親に見せるためだ。

 先のルポ取材時に写真を撮ったポイントで停車した。クルマを降りた年老いた両親がいきなり周囲の風景に向かって合掌し、念仏を唱え始めた。この間、私は解説らしいことをなにも言っていない。

 昨年4月初旬、震災後初めて私が宮城県石巻市の壊滅的な被害を目の当たりにしたときと同様、両親も面食らい、動けずにいた。

 「テレビや新聞で接した光景とは全く違う」。父親がぽつりと言った。

 彼の眼前に広がる光景は、旧警戒区域(福島第一原発から20キロ)の内側だ。津波に襲われたあと、原発の災禍に遭い、ほぼ1年前のまま放置された過酷な現実なのだ。

昨年からほとんど手つかずの風景(南相馬市原町区と小高区の境界線付近)

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