中国高速鉄道で、また事故が起きるかもしれない杉山淳一の時事日想(3/4 ページ)

» 2012年08月03日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

なぜすべてパクってくれなかったか?

 ただし、私も日本人だし、心情的には日本のメディアの気持ちも理解できる。確かに中国のやり方は狡猾だし、ズルい。だから私も「パクリ」と言いたい。それはともかく、もっと残念なことは、どうせパクるなら、どうして中国は日本の「安全に関する技術、意識、考え方」もパクってくれなかったのか。日本の鉄道技術者たちの悔しさはそこではないか。どうせパクるなら全部パクってくれたらよかった。そうしたらあんな悲惨な事故も起こらなかったはずだ。

 例えば。

 真夏に電車に乗った瞬間、「あ、弱冷房車だ。ここは暑いから隣の車両に行こう」と思う。走行中に車両の端に行き、そのまま連結部分の通路を通って、隣の車両に行ける。その通路を通れる理由をご存じだろうか。

 これは1951年に起きた「桜木町事故」が教訓になっている。高架線上で電車が火災を起こし、約100人の焼死者と、ほぼ同数の重軽傷者を出す惨事だった。当時の電車にも通路があったものの、点検、連結作業などの業務用だ。普段は鍵がかけられていた。だから乗客の多くは脱出できず蒸し焼きになってしまったのだ。この事故の教訓から、車両貫通路の整備や車体の難燃化(不燃性の材料を使って、燃えにくくした)、非常扉コックを目立たせるなどの改良が行われた。

 さらに。

 渋谷駅で山手線電車を待っている時に「新橋駅で京浜東北線が人身事故を起こしたため、山手線は運転を見合わせています」とアナウンスされる。「なぜ、新橋なんて離れた場所の事故のせいで止まってしまうのか。しかもこちらは山手線なのに」と思う。

 これは1962年に起きた三河島事故の教訓である。貨物列車が脱線し、隣の線路に車両が飛び出した。そこに電車が衝突して脱線。さらに隣の線路を走ってきた電車も衝突するという三重事故。死者160人、負傷者約300人の大惨事だった。この事故の教訓から「列車防護無線装置」が開発された。列車が緊急停止した場合に無線で非常信号を発報し、受信した周囲の電車をすべて停めるシステムである。

日本で初めて乗客が死亡した事故(1885年)の慰霊碑(大森駅)。慰霊碑は追悼のためだけではなく、同じ過ちを繰り返さないという「誓いの証」でもある

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