人は何のために、何を目標として生きるのか(1/3 ページ)

» 2012年08月01日 08時00分 公開
[寺西隆行,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:寺西隆行(てらにし・たかゆき)

株式会社Z会教材編集部理科課長(兼小学生コース教材担当)。幼児から大学生・若手社会人の教育に携わるZ会で、理科の教材編集に携わる社員のマネジメントと、小学生向け商材の開発担当を担う。前任はWeb広告宣伝・広報・マーケティングなどを担当。


 Facebook上でさまざまなアドバイスをいただいている、佐賀県の小学校の先生がいらっしゃいます。さまざまなやり取りがあり、その中で次のようなメッセージを書きました。(寺西隆行)

 Webの世界で著名な河野武さんという方がいます。彼の座右の銘が「ぼくはぼくとぼくの好きな人のためにがんばる」です。この言葉、読めば読むほど好きになっていく言葉で、人間ってこれができれば十分過ぎるほど十分じゃないかな、と思っているんです。

 自分のため、自分の好きな人のために全力を。これって、その人から見て「関係性」や「(好き、という)感情」が強い人を大事にするって言葉なのかな、と。そして決して、それまで関係のある人のみを大事にする、という、いわゆる「内輪受け」を意味する言葉でもありません。

 いくら自分が、自分の思う、すばらしいことをやっていて、そして、相手にコミットしてほしくても、相手を「その気」にさせないといけないですよね。そして、「その気」にさせるのは、相手のことを見ていますよ、おもんばかっていますよ、という態度だと思うんですよね。

 ありがたいことに先生がこのメッセージに共感を覚えてくださったようで、彼の投稿欄で紹介されていました。ただ、このメッセージに至るまで、彼といろいろやり取りした伏線もあり、経緯を知らない人からすると唐突感のあるメッセージかもしれなあ、と思いました。

 そこで、何でこのメッセージに至ったかを考え、まとめているうちに、この記事のタイトルのようなことに行き着き……僕がこの言葉を好いている理由と合わせて述べると、ほかの誰かの一助になるかもしれないという思いで、記事にしました。失礼ながら、その先生に送るメッセージとして書かせて戴くことをご容赦ください。

※もちろん河野さん自身の中での上記言葉の解釈と、僕の解釈は異なるかもしれません。
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