「キャリアはある意味、行き当たりばったりでいい」――キャリア教育を再考する(1/4 ページ)

» 2012年07月25日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 私は、いわゆる“キャリア教育”を研修化することを生業としています。しかし、キャリアは人の働き方・働き様・働き観に関することであり、それを“教育する”という言葉が醸すニュアンスは、どうも気持ちが悪い。だから、その言葉の使用はなるべく避けるようにしています。

 また、通じの良い言葉に「キャリアデザイン」というものもあります。組織・人事の世界で、「当社はキャリアデザイン研修をやっています」と言えば話が早い。しかし、私はこれも極力避けています。なぜか?

 それは「キャリアデザイン」という概念・言葉が最近、矮小化の方向に引きずられているのを感じるからです。

 「キャリアデザイン」が語られ始めた当初、その言葉は全人的かつ統合的に職業人の営為を考察し、そのより良きマネジメントを方法論に落とし込もうとする、それなりのふくらみと新しい光を帯びたものでした。

 ですが、そもそも「デザイン」という言葉自体がかなりのレベル幅で意味が拡散したのと同様、キャリアデザインもそうなることを宿命的付けられたように思えます。

「働くとは何か?」の核心に迫っていかない「キャリアデザイン研修」

 人事の育成担当者の方々との会話でキャリアデザインのことが話題にあがると、「ああ、キャリアデザインですねー、ええ、大事でしょうけどねー……」。直接的な言葉にはしませんが、彼らのうちに遠まわしにネガティブな思いを含んだ反応を私はしっかり感じ取っています。このような反応が起こっている背景には、安易に設計されたキャリアデザイン研修の増加があります。

  • 学術的なキャリア理論の紹介(紹介に留まる)
  • 自己分析(何らかの自己診断テスト・強みと弱みの棚おろしなど)
  • 計画表作り

 これら3点セットで1日研修。これらの研修要素が悪いとは言いません(私も要素としては取り入れています)。確かにこれでキャリアデザインの何たるかは、“ある程度”理解させることができるかもしれません。

 しかし、いくら学術的なキャリア理論を紹介しても、いくら精巧な診断ツールで自己分析させても、いくら自分の強み・弱みをSWOT表に記入させてみても、いくら丁寧に5年後、10年後のキャリアプランを立てさせてみても、「より良く働くとは何か?」「たくましくキャリアを作っていくとは何か?」の核心部分には一向に迫っていきません。

 恐らく、この核心部分に迫っていかないモヤモヤ感が、一種の不満感となり、先の人財育成担当者たちの声になっているのではないでしょうか。「キャリアデザイン研修」なるものは今、お手軽な「キャリア教養講座」へと拡散してしまっているように私には見えます。

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