原発事故の“愚かさ”を、どのように表現すればいいのかさっぱり分からなかった、3.11報道(3)(2/4 ページ)

» 2012年07月25日 08時02分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
烏賀陽弘道氏

相場:東北の地方紙の人たちと話をしていると、被災地のことばかり。そして「そうそうそう」といった感じで、話が合うんですよね。

烏賀陽:戦争に行って帰って来た人に似てるんですよね。あまりに破壊や残酷さ、グロテスクさの規模が大きすぎる。これも戦争に似ている。

 ただ、福島の場合はちょっと違う。原発事故が起きて、なぜ飯舘村や南相馬市の住民に「逃げろ!」と警告を出さなかったのか。誰かがミスをしているので、強烈に腹が立つわけですよ。人間の愚かさがあまりに巨大なのですが、それを何と言っていいのか分からない……。象を見たことのない人にいくら一生懸命象を説明しても分かってもらえない。説明しているうちに、こちらも自分の言葉の無力さに疲れてくる。そういうディスコミュニケーションがものすごいフラストレーションになりますね。

 象を見たことのない人に象を説明するなんてカワイイものですが、原発事故は違う。現実に苦しんでいる人たちがいて、その人たちを何とかしなければいけない。しかもその人たちはパレスチナの人でも、バングラデシュの人でもなく、日本人です。東京駅から新幹線で1時間半ほどで着くところに同胞、同じ国の国民として暮らしている。その人たちを救うために何でこんなに言葉が通じないんだという憤りを、ものすごく感じますね。

相場:現実がエンタテインメントを超えてしまいましたよね。「エンタテインメント」と言うと怒られますが、嘘を書く作家が思いつかないようなことが、すでに現実として起きてしまっているんですよ。

烏賀陽:私は東日本大震災の直前か直後に、クリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』という映画を見ました。バリ島で津波に巻き込まれた女性ジャーナリストが臨死体験をして、人生が変わってしまうという話なのですが、震災以降、「この映画は甘い」と感じました。「津波はこんなにキレイな水じゃない」とか。

相場:ノンフィクションも本当に腹をすえて書かなくてはいけないし、フィクションはもっと嘘をつかなくはいけない。大変な時代になったなと思いますね。

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