東京都との交渉があくまで優先、尖閣諸島地権者の思いとは?(2/4 ページ)

» 2012年07月21日 12時22分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

東京都の上陸申請は容認

――東京都が調査のため尖閣諸島に上陸することを申請していることについてどのようにお考えですか。

 これはあくまで一般論で考えていただきたいのですが、賃貸借契約を国と栗原家で締結しています。一般論で言うと、借主側が善良なる管理義務者ということになるので、阻害要因が起きるという考えがあれば、借主側が拒否するという状況だと思います。

 今回は(東京都への)売却ということがありますので、当然経済活動とのプラスマイナスを考えないといけませんから、そこの部分では当然、所有者側としての意志としては、上陸を許可というよりは、上陸をさせざるを得ない状況だと思います。

――私は1998年に栗原さんのお兄さん(栗原国起氏)にインタビューしたことがあります。その時もちょうど尖閣諸島で争いがありまして、お兄さんは「こういう問題は国と国が決めることだ」と答えました。今でもそう思いますか? また、なぜ石原都知事との交渉を続けているか、そして石原都知事や国以外にも交渉しに来る人はいますか。

栗原 実は一番びっくりしているのは、兄とお会いしたことがあるんですか。

――はい。

栗原 兄弟といえども初耳なので、質問の内容よりそちらの方がビックリしてしまいました。いずれにしても兄は古賀善次さんとの約束事がありますので、歴史が消えるような行為は一切やりません。すなわち民間には売らないということです。たまたま今回は結果的に石原さんが都知事だったということで、もし石原さんが衆議院議員だったら国との話し合いになっていたかもしれません。現時点で都知事であるということが重要です。

 先ほど少し申し上げましたように民間という意味合いでしたら、40年間の間に数十社はありましたが、すべて頭からお断りしました。

――栗原家に所有権が渡ったという1970年、沖縄はまだ米国占領下でした。どのように所有権が移転していったか教えてください。

栗原 1970年に最初に古賀さんと、北小島と南小島の売買の話からスタートしています。そして1972年の沖縄返還後、実質的に所有権が移転しています。次に、1978年に魚釣島の売買。そして最後に久場島が、1988年に私たちの方に来ています。

 久場島は米軍占領時から射爆場で使用していましたが、返還以降は現在まで使用していません。ただ、防衛省の那覇の施設局の方で賃貸借契約が継続されているというのが実情です。

――尖閣諸島は全体で何島あるんですか。

栗原 (栗原家が所有しているのは)4島です。大正島は国有地ですから全部で5島ですが、5島のうち4島が個人所有です。

尖閣諸島の位置。1.魚釣島、2.大正島、3.久場島、4.北小島、5.南小島(出典:Wikipedia)

――民間ではなく、外国からのアプローチはありましたか。

栗原 外国企業や外国人からのアプローチは、まったくありません。あくまでも日本企業などの形で来ています。その先について調査して、これはどこの国だ、これはあっちの国だというのは、一切やる必要性を感じていませんでした。

――東京都の尖閣諸島購入計画を批判していた丹羽宇一郎駐中国大使が先日、事情説明のために一時帰国しましたが、玄葉光一郎外務大臣は野党の更迭要求には応じないとしています。これについて感想をお聞かせください。

栗原 丹羽大使の発言は私人の発言と政府のコメントでは発表していますので、「一私人としての発言なんだな」ということしか私たちは解釈していません。

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