“図解”から“図観”へ――マンダラに学ぶ情報の視覚化(1/4 ページ)

» 2012年07月18日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 「図解」という思考手法・表現手法が、ビジネス現場では1つの重要なリテラシーとして認識されるようになってきた。

 私は1994年当時、出版社で雑誌の編集に携わっていたが、「これからは紙の上に文字と写真を載せて記事にしていればいい時代ではなくなる。モニターの画面上で情報を摂取するのが主流になる時に、どういった形の情報の表現が必要になってくるのか。受け手がもっと直観的に、インパクトをもって、内容を理解するための新しい表現として何が開発されるべきか」といった問題意識をもって、米国に留学をした。私は米国のグラフィックデザイン界で進む「情報の視覚化」の分野に身を置き、先進的な情報地図やダイヤグラム、モデル図などを研究した。

 さて、図解的表現の分布を整理すると次図のようになるだろうか。

 「地図・情報マップ」の世界は、いまやどんどんその濃密化が進んでいる。カー・ナビゲーションシステムの画面にはより多くの情報が埋め込まれるようになっているし、Google マップなどにも店の情報やら広告情報が集積されている。「ダイヤグラムやチャート」といった主に数量・時経変化を表す図もますます進化していて、そのデザインの良し悪しはプレゼンテーションの印象を左右する大事な要素になっている。

 また、物事の原理となる構造や仕組みを表す「モデル図」は、CG(コンピュター・グラフィックス)の発展でますます複雑化する傾向にある。テレビ番組などを観ていても、例えば、宇宙の構成や人体のメカニズムなどが動的なモデル図で描かれ、視聴者はとても容易に理解できる。

 このように図解的表現はそれぞれの分野で進化を遂げているのだが、私はさらにここでもう1つの分野を考えたいと思っている。──それは「マンダラ」だ。

 「曼荼羅(まんだら)」とは、広辞苑の説明では「諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図」とある。歴史の教科書や博物館、寺院などで一度は目にしたことがあるかもしれない。具体的にどんな絵図だったかは、ネット検索で「曼荼羅」と入力すればさまざま出てくるのでそれを見ていただくとして、要は、曼荼羅はある観念世界を1枚の平面に抽象的に表したものである。

 曼荼羅は物事を図で可視化するという意味で、図解的表現の1つと言っていいだろう。そして構造や仕組みを表しているので、その中でも「モデル図」のようなものだ。が、曼荼羅はモデル図に比べ、より抽象度を高くし、より重層的にメッセージを加えていく濃密さを持っている。また、必ずしも明解さを追求するのではなく、「にじみ」や「ぼかし」といった受け手に解釈をさせる暗示的な部分を残す特徴がある。

 そういった意味で、「構造を明らかにするモデル図」に対し、「世界観を提示する曼荼羅」となるだろうか。そんな曼荼羅を、私は抽象化思考の表現法の1つとして、「マンダラ」と表記して転用したいと考えている。

 本記事で「マンダラ」とは、「概念あるいは概念を捉える世界観を一幅の絵図に収めたもの」と定義する。よいマンダラの要件として、私が挙げるのは次のようなものだ。

  • 概念がよく定義化されたり、モデル化されたり、比喩化されたりしている
  • その概念が持つ世界(意味的な空間)をよく表している
  • その世界観は客観的であってもよいし、主観的であってもよい
  • その絵図の表現には意味のにじみやぼかしがあってよい(示唆的・暗示的なものでよい)
  • 目で考えさせる絵図である
  • そして目から肚に落ちていく説得力がある
  • 絵図を通して本質を“観る”という意味で、図解的というより「図観的」である
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