利用者の7割が男性! オフィスグリコの仕掛け人に聞く嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/4 ページ)

» 2012年06月29日 09時19分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

8万社が採用

 ここで、このビジネスの成立の経緯をご紹介しよう。江崎グリコは平成大不況下、菓子市場が縮小し続ける中で新しい販売チャネルを模索していた。そんな時、相川さんが上司と2人で1997年から構想し、2002年の東京進出で本格的に事業化したのがオフィスグリコだ。

 広範なマーケティングリサーチの結果、お菓子を食べるシーンの内わけとして家庭内が70%、オフィスが19%、次いでアウトドアという結果を得て、相川さんはオフィスの割合の高さに衝撃を受ける。ここにビジネスチャンスがある、と。

 「日本の産業界に成果主義が広がり、職場のストレスが急速に高まるという環境変化を見すえ、“リフレッシュメントのためのお菓子”というコンセプトでやれるのではないかと踏んだのです」

 今では、首都圏、関西圏、中京圏、福岡圏に57の営業拠点(センター)を展開し、8万社にリフレッシュボックスを置き、その総台数は11万3000台に及ぶ。置き菓子業界も徐々に形成され、競合他社も十数社を数えるまでになったが、オフィスグリコが大きなシェアを持っていることには変わりない。

 こうした営業拡大の原動力になってきたのは、相川さん自ら陣頭に立った飛び込み営業だった。「警備員さんにつまみ出されるなんて日常茶飯でしたよ」と笑う相川さんだが、最初の飛び込みでは100軒回って60軒成約したそうである。

 飛び込み営業によるローラー作戦の打率は、一般に「センミツ」(=打率1000分の3)などと言われることを思えば、非常に高い数字であることが分かる。「オフィスグリコ全体としては、成約率10%くらいなんですが、部下に負けたくない気持ちがありましてね」と相川さんは振り返る。

 とはいえ、2001〜2002年の東京進出前後の時期は、そんな相川さんも憔悴(しょうすい)しきっていたという。

 「このビジネスに関して、ビジネス特許を取ろうということになったのですが、弊社には製法特許はあってもビジネスモデル特許は経験がない。助っ人はいたものの専任はたった2人で営業に駆けずり回っていた時期に、未経験の特許出願のための膨大な作業もしなくてはいけなくなりましてね……」

 いかんせん、マンパワーが足りない中でオーバーワークが重なった。夜な夜な、必ずしも得意とは言えないPC作業に奮闘したものの、バグが出続け、翌日の営業開始に間に合わせるために、徹夜の日々が続いたという。「デスクに突っ伏して仮眠を取るのがやっとでしたね。劇ヤセしましてね。頭に触れると頭から汁が出てくる状態でした」と相川さんは苦笑する。

 相川さんと同期入社の山本京子さん(現・グループ広報部 担当課長)は、その頃の相川さんの様子をこう語る。「顔を合わせても、いつも目がうつろで、大丈夫なんだろうかとみんなで心配していたほどでした」。

 座右の銘は伊達政宗の「楽しまずんば、これいかん」という相川さんだが、この時ばかりは楽しむどころの騒ぎではなかったようだ。

 しかし、それを乗り越えたからこそ、その後の躍進があるわけで、それを可能にしたのは学生時代にライフル射撃の全日本チャンピオンとして2連覇を果たし、なおかつ日本新記録を出したという、自信とプライドだったのかもしれない。

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