同じ間違い方をする人はいらない!? 原発の規制機関には何が必要か(1/3 ページ)

» 2012年06月22日 11時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 数ある福島第一原発事故の調査委員会の中で、いち早く、2月に最終報告書を出した民間事故調(北澤宏一委員長)。政府とも東電とも異なる第三の立場から、事故の検証と提言を行っている。

 民間事故調の主体となった日本再建イニシアティブと東京大学が主催した6月9日のシンポジウム「日本再建のための危機管理」では、北海道大学公共政策大学院の鈴木一人教授が原発の安全神話の生成過程、東京大学人文社会系研究科の松本三和夫教授が天災と人災の隙間で発生する“構造災”としての原発事故について解説した。

 →「なぜ原発の安全神話は生まれたのか

 →「科学の解は1つでも政策は1本に決まらない――“構造災”としての福島原発事故

 その後のセッションでは、毎日新聞の山田孝男編集委員を加え、現在焦点となっている規制のあり方などについて議論を行った。その内容を詳しくお伝えする。

左から松本三和夫氏、鈴木一人氏、山田孝男氏

別の“神話”が生まれているのではないか

山田 鈴木先生から「現状は安全神話に回帰しているのではないか」というご指摘がありました。6月8日の大飯原発再稼働に関する野田佳彦首相の会見では、原子力規制庁を作るから大丈夫なんだということでした。私は「大丈夫じゃないんじゃないか」と疑いますが、このことについてご説明をいただけますか。

鈴木 問題はさまざまあるので何とも言えないのですが、今、議論の焦点になっている「独立しているかどうか」というのは多分問題の一面でしかないと考えています。「これまで推進側の経産省のもとに規制する原子力安全・保安院があったのはおかしい」というのはその通りで、これは国際的な標準にも合っていません。しかし、ただ単に独立すれば規制がうまくいくのか、究極的には人命が守られるのかというと、私はやっぱりまだクエスチョンマークが残ると思います。

 例えば、原子力規制庁のスタッフが電力会社やメーカーに対して技術的に優位に立てるか、法制度の面でどれだけの権限が与えられ、どういう形で検査をするのかといった問題については、まだ詰めなければいけない部分はあるでしょう。

 今回、(組織に配属される職員を出身官庁に戻さない)ノーリターン・ルールが導入されることになりましたが、霞が関の行政構造全体の問題として、例えば規制の問題を縦割りで一元化すればするほど、放射線医療の問題などをどういう風に調整していくのかといったことがおろそかになってしまいます。

 つまり、「一元化することのメリットもあるし、同時にデメリットもあるということをどうやってカバーしていくのか」という問題もあるので、原子力安全というものをもっと広い文脈で見ていかないといけないですし、単に原子力規制庁が独立しているかどうかということだけで、議論を終わらせてはいけないと考えています

山田 松本先生からは「制度の信頼性と個人の信頼感を混同している」と、現状の事故に対する反省の議論が混乱しているというご指摘がありました。私もそれは感じます。例えば、国会事故調の菅直人氏のヒアリングをきっかけに、「菅はけしからんじゃないか」という大報道になりました。私も政治記者として、菅さんが伝統的な意味での大宰相が持つ帝王学や器量にまったく欠ける人物だということは分かり切っているわけですが、そのことと原発事故の責任問題がぐちゃぐちゃになって議論されているのは生産的ではないと思います。この辺、松本先生いかがですか。

松本 はい、その通りです。ちょっと補足をすると、みんな悪気があってやっているわけではなくて、それぞれの現場で頑張っていたはずなんですね。あまり私も偉そうなことは言えませんが、それでも公人として責任をとることがなぜ必要かというと、そのことが制度の信頼性を担保する重要なシグナルだからだと思うのです。

 誰も責任をとっていない制度には、多分誰も乗らないと思うんですよ。なぜならそういう制度だと、次の被害者が自分である可能性が常に開かれているからです。それ(どう責任をとるか)は日本人だけではなく、外国の人も見ているはずなんですね。つまり日本という国がIAEAスケールでは最悪の事故(レベル7)と位置付けられるものに直面して、どういうことをやるのかというのをちょっと言葉は悪いですが鵜の目鷹の目で見ているはずです。そういうつもりで襟を正して動くことがとても求められています。制度の信頼性を高める最大の要因はそこだと思うんです。

 「あなたは制度を信頼しますか」とアンケート調査をして、「信頼する人の割合がこれだけ高くなりました」というのも、それはそれで1つのデータですが、そんなことよりもきちんと責任をとれる制度を作ることが何よりも重要なことではないかと思います。

山田 松本先生は、鈴木先生がご指摘になった「現状は安全神話に回帰しているのではないか」という現状認識についてどんな感想を持っていますか。

松本 多分安全神話の定義にもよると思うのですが、かつてのようにとにかく「絶対安全です」と言わざるを得なかった立場の人は多分つらかっただろうなと思いますが、そういうものは多分これで少し変わってくるかなと思います。

 ただ、別の神話があることを忘れてはいけないと、むしろ言いたいです。神話というものはいつでも作れますし、何かを先に進める時に神話をもってするというのはある意味で便利なんです。私は戦時動員の研究もやったことがあって、戦時動員のプロセスで神話を形成しながら動員していくということは非常に古典的な手法として行われていたんですね。

 戦時動員とこの話を同列には論じられませんが、言いたいことは神話というのは割とよく使われる手法の1つである。今みなさんの関心が原発神話にいっていますが、あえて言いますと再生可能エネルギー神話というものもあるんですね。それはそれでまた別の効果を持つ神話が実は存在しているんです。ですから、原発だけに神話が存在して、原発神話から脱すれば良い状態がただちに実現するというのには、もうちょっとバランスがあった方がいいと思います。

 神話というものは再生可能エネルギーの事業化についても存在するといったことも考慮しながら、恐らく決めていくのはやっぱり普通の人だと思うんですね。今回の場合もそうです。一番、当事者になっているのは普通の人なんです。制度設計をしている人ではないんですね。

 だから、そう難しいことではないと思いますので、普通のみなさんがそういうところにきちんと目配りをきかせながら、ちゃんと意思を表示していただくということです。選挙でも結構ですし、こういうところに来ていただいても結構ですが、いろんな場で意思表示をする。それが多分次の世代に対する私たちのシグナルと言いますか、あかしになると思います。

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