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» 2012年06月19日 08時01分 UPDATE

民間事故調シンポジウム:なぜ原発の安全神話は生まれたのか (1/3)

福島第一原発事故で崩れ去った原発の安全神話。民間事故調の調査報告書策定に関わった北海道大学公共政策大学院の鈴木一人教授は、推進派と反対派の二極対立が安全神話を強め、また安全神話があったために大事故が起こった際の対策も検討されることがなかったのではないかと分析した。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

 東日本大震災にともなう福島第一原発事故で、もろくも崩れ去った原発の安全神話。だが、福島第一原発事故以前にも1999年の東海村JCO臨界事故などいくつかの予兆とも言える事故があったものの、多くの国民は原発の安全神話を受け入れ続け、電力供給の多くの部分を原子力発電に頼っていた。

 私たちはなぜ安全神話を受け入れるに至ったのか。福島第一原発事故に関しては、東京電力が設けた事故調査委員会(東電事故調)、国会が設けた事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)、政府が設けた事故調査委員会(政府事故調、畑村洋太郎委員長)、民間で設けられた事故調査委員会(民間事故調、北澤宏一委員長)の4つがあり、東電事故調と政府事故調は2011年12月に中間報告書、民間事故調では2012年3月に最終報告書を出し、国会事故調でも6月中に最終報告書を出す予定だ。

 そのうちの民間事故調の調査報告書策定に関わった北海道大学公共政策大学院の鈴木一人教授は、推進派と反対派の二極対立が安全神話を強め、また安全神話があったために大事故が起こった際の対策も検討されることがなかったのではないかと分析した。

※この記事は6月9日に行われた日本再建イニシアティブと東京大学主催のシンポジウム「日本再建のための危機管理」の一部をまとめたものです。
ah_min1.jpg 北海道大学公共政策大学院の鈴木一人教授

推進派と反対派の二極対立が安全神話を強化していった面があったのではないか

ah_min2.jpg 福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

鈴木 私は、民間事故調の調査報告書の第3部「歴史的・構造的要因の分析」のとりまとめをさせていただきました。今回の事故の背景に何があったのか、それが結果的に事故にどうつながっていったのか、“原子力ムラ”とは何なのかということを歴史的、制度的な面から勉強させていただきました。

 危機管理を考える上で、安全神話にどういう関係があるのか。危機が起こった瞬間に人はどういう風にモノを考えるのか、例えば通信が途絶えたとか、こういう人たちが集まったという時、個々人がどういう責任を持ち、どういう判断をするかが重要になります。3.11の原発事故では、誰が責任を持ち、どういうデザインで危機管理をするのかということが極めて不十分であったと言えると思います。その原因はどこにあるのかというのに、安全神話が関連してくるだろうと考えています。

 私たちが民間事故調でいろいろと調査をして、これまでの歴史の中でどのように安全神話が作られていったのかを考えた時、推進派と言われる原子力ムラの人たちだけではなく、多くの国民が安全神話を共有していた事実はあるだろうと考えています。

 原子力ムラでは原子力技術は自分たちが作った技術で、それを使って発電し、金儲けをするので、一度作ったものを「いやこれは実は危険でした」と言えません。今まで「安全だ」と言ってきたものについては、「安全だ」と言い張り続けないといけません。「本当は事故が起こるかもしれないから、もっと安全性を高めていかないといけない」と考えていても、表では「これは安全です」と言わないと原発を受け入れてもらえないですし、「安全です」と言わないと、すべての問題が進まない状態になっていました。

 マスメディアを通じてそうした流れが出てくるわけですが、同時に1970年代に興隆していく反原発運動も、実は安全神話を作る一翼を担っていたと私は理解しています。なぜなら原発をなくすことが目的の運動が原発を推進する側に対抗するとなると、推進派は反対派に対抗する形で原発の安全性を強調せざるをえなくなります。今まで推進派が「安全だ」と言っていたことを、「安全でない」なんて言ってしまったら、「ほれ見たことか」と反対派に付け入られてしまう。だから推進派と反対派の二極対立が、安全神話をさらに強化していった面があったのではないでしょうか。

 もちろん、そこには原発立地地域の住民も関係してきます。住民は原発立地を認める以上、「安全ではないかもしれない」ものを受け入れるわけにはいかないので、「絶対に安全である」という保証を求めて受け入れるという前提条件が付きます。さらに国民全体も「そういうもんなんだろう」と漠然と信頼していく形になっていくわけです。

 安全神話というのは、一方では原発災害リスクをタブー視するというリスクの引き受け手側の社会心理であり、他方で原発を推進する原子力ムラの利害関心であるということで、この両者の間で社会的な合意を得るために作られたものと考えるべきではないでしょうか。つまり、推進したい側に「もしかしたら事故があるかもしれない」「新しい技術をとりいれていって、安全性を高めていきたい」という認識があったとしても、原発を社会的に受け入れやすくするためにこうした安全神話を作り、納得してもらう必要があったということです。

 これまで例えば、なぜ原子力安全・保安院が9.11の同時多発テロ以降に米国でとられた核テロ対策を実行しなかったのかというと、「住民に不安と誤解を与えないように」ということが1つの動機になっていました。それがもっとネガティブに働けばトラブル隠しにつながりますし、「実際に事故は起こらないんだから」ということで、原発立地自治体での避難訓練が形骸化したりと、備えがどんどん弱くなる状況になっていきます。

 また、自分たちが安全を強調するあまり、生まれ育った時から「安全である」と考えてしまうような自己暗示機能もあったでしょう。一方でアカデミックな安全研究がなされてきて、世界の安全基準が進んでいくことを理解はしていても日本は異なっているという、いわゆるガラパゴス状態が生まれたんだろうと理解しています。

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