「1人1票でないと多数決は保障されない」――1票の格差裁判の升永英俊弁護士に聞く東京の1票の価値は鳥取の4分の1(1/4 ページ)

» 2012年06月15日 10時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法案の審議で揺れる国会。しかし、同時に喫緊の課題となっているのが、選挙制度の改革だ。

 1票の格差※が最大2.3倍だった2009年衆議院議員選挙を「違憲状態」とした2011年3月の最高裁判決から1年3カ月。また、衆院選挙区画定審議会は直近の国勢調査結果に応じて1年以内に新しい区割りを勧告することになっているが、期限である2月25日から3カ月半が経った今でも勧告に至っていない。

※1票の格差……選挙で有権者が投じる票の持つ価値の差のこと。選出される議員1人当たりの有権者数が選挙区によって違うため、有権者数が少ない選挙区ほど有権者の投じる1票の価値は大きくなり、逆に有権者数が多い選挙区ほど1票の価値は小さくなる。

 与野党間の協議が不調に終わっていることがこの背景にあるが、最高裁で違憲状態判決を勝ち取ったTMI総合法律事務所の升永英俊氏に、改めて選挙制度改革の意義を尋ねると、ただ1票の格差を縮めるだけの選挙制度改革では多数決が保証されないため、民主主義は実現されないと主張する。

TMI総合法律事務所の升永英俊氏

1人1票でないと少数決が起こりうる

――まず、なぜ1票の格差に関心を持たれたのかというところからお話しいただけますか。

升永 今から50年前、1963年の衆議院議員選挙の時のことです。私は当時20歳の大学生でした。自分の1票が、最も1票の価値が高かった地域を1票とすると0.2〜0.3票(=1票の最大格差3〜5倍)にしかならない計算になっていました。「これは法の下の平等に反する。不条理の極みだ」と思いました。しかし、この不条理を正そうにも、それは個人の力を超えていて「不可能だ」と思いました。そして、何もしないまま時間が経ちました。

 12年前、私の小学2年生の時の担任の先生が、クラスで行った遠足の集合写真を送ってくれました。写真を見ると、1クラス50人でした。前列に並んでいる15人ほどの同級生の中で、5人ははだしなんです。戦争が終わってからまだ3〜4年しか経っていなかった時期の日本は、親が小学2年生の子どもに、遠足の日に草履や下駄を履かせることすらできなかった貧しい時代でした。

 私はその写真を見て、小学2年生の時の選挙のことを思い出しました。小学1年生の時に私は級長でした。2年生になって、先生が「みんなで級長を選びましょう」と言われて、クラスで投票しました。私は、あえなく落選。

 でも、その時に私は納得しました。「クラスの全員が1人1票を持って、多数決で決まったんだから」と。もし、北町に住所がある子どもは0.9票、南町に住んでいる子は0.3票、西町に住んでいる子は1票だったとしたら、私は、納得しなかったでしょう。

 そう考えた瞬間、私は鳥肌が立ちました。私は「これまで『1票の住所差別』を『不条理だ!』と平等論の枠内で考えていた。『1票の住所差別』は、少数決を肯定してしまう。『一票の住所差別』は、多数決を前提とする民主主義の否定だ。日本は、民主主義国家ではない!」と一瞬にして悟ったのからです。

 “1票の格差是正”という言葉は死語にしなければいけないと思います。なぜなら、1票の格差是正と言ってしまうと、現状の“清き0.4票”を“清き0.9票”にすることも是正になってしまうからです。国民は主権者として、“清き1票”を持つべきです。すなわち、日本国民全員が1人1票であるべきです。“清き0.9票”では、日本を「国民の多数の意見で、法律を立法し、国民の多数の意見で首相を選ぶ国」にできません。

2010年の参議院議員選挙で鳥取県民の選挙権を1票とした場合の各選挙区の1票の価値(出典:一人一票実現国民会議)

――例えば米国の場合、下院では1票の格差は非常に小さいですが、上院はどの州でも上院議員は2人としていて、非常に大きな1票の格差が生まれており、多数決が成り立たなくなっています。

升永 米国の場合、50の国家(state。州と翻訳されている)が連邦を作っています。United States of Americaです。50の国家(state)が、「上院については、人口に関係なく、各stateごとに上院議員を2人ずつ出します」という連邦憲法に基づいて約束をして、連邦に参加しました。カリフォルニア州の人口は約3700万人で、ワイオミング州は約57万人です。上院選挙でカリフォルニア州民は、ワイオミング州民の65分の1の票しかないわけです。各州(state)は、それを納得した上で、連邦(United States of America)を作ったわけです。

 米国の州(state)と日本の都道府県は、まったく違います。米国では、それぞれの州に、州の最高裁判所、州の高等裁判所、州の地方裁判所があります。州ごとに民法、刑法、家族法、相続法などが違います。各州が立法権を持っています。日本の都道府県は本格的な立法権がなく、条例制定権しかありません。州は、軍隊(陸軍、空軍)を持ち、本格的な課税権も持っています。都道府県は、軍隊を持っていません。本格的な課税権も持っていません。日本の都道府県は、国家としての体裁をなしていません。

 だから、「米国の上院選挙では1票の住所差別を認めているから、日本も1票の住所差別があってもいいじゃないか」という議論は、都道府県を州と同一視する議論であって、その議論の前提を誤っています。日本は米国でいうと、カリフォルニア州に相当します。そしてカリフォルニア州の中では、連邦上院選挙も、連邦下院選挙も1人1票になっています。

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