もっとも、ここ数週間では「結局、テレビはどうなるのか?」と何度か質問された。要するに、もう少し長い目で見て、テレビというメディアがどんなものに変化するのかというお話である。
ニュースを見ていると、テレビに関連して、さまざまな新しい単語が使われるようになってきている。スマートテレビやコネクテッドTVは、インターネットに接続されたテレビの意味。ハイブリッドキャストは、その仕組みを放送側の立場から呼んだ言葉だ。セカンドスクリーンとコンパニオンデバイスは、テレビを視聴するときに一緒に使うタブレットなどのことを指す。ソーシャルテレビは、文字どおりソーシャルメディアと組み合わされたテレビ視聴のことで、これは広告やマーケティング系の人々がとくに注目している。
これらを総称して「スマートテレビ」と呼んでもよいのだが、それは「映像とネットの融合する時代」のことだと、先のコラムの中でも述べた。それは、裏を返せば、ネットの世界で「リッチ・インターネット・アプリケーション」(RIA)と呼ばれていた領域である。それまで、文字や静止画が中心だったネットの世界で、アニメーションや動画が自由に使えるようになった(表現が豊かになるという意味でリッチなのだ)。
その頃、この分野を標榜していたのはマクロメディア(後にアドビが買収)のFlashだった。Flashの動画サポートを活かしてネット動画の世界を一気に広げたのが、YouTubeだったというのも記憶に新しい。そして、それに対するアップルの回答とも言うべき、iPhoneの登場である。そのようにして、コンピュータの世界で進められてきたことが、はじめてテレビと出会って生まれたのがスマートテレビだという見方ができる。
そこでは、どんなことが起きているのか? 上図は、PCとテレビの進化をいくつかの角度から比べたものだ。興味深いのは、PCもテレビも、新しい機能は最初は外付けのデバイスとして接続されていることだ。PCなら外付けフロッピーディスクドライブ、テレビならビデオデッキなどがそれだ。次に、そうした機能はやがて本体の中に取り込まれていくようになる。必要な機能ならUI(操作手段)すら、マウスがタッチスクリーンに、リモコンがジェスチャーへというように、本体に溶け込みつつある。
しかし、この図で重要なのは、「ネット」に接続された途端に、PCとテレビの見分けがつきにくくなってきたということだ。デバイスが極限までシンプルになって、まさに“ただの板”のようなものになったときには、それはもはや大きさや置かれる場所程度の違いしかなくなる。これは、図でも説明しているとおり、電子デバイスに共通の法則のようなものだ。電話(スマートフォン)、音楽プレーヤー、腕時計、デジタルサイネージなど、いずれにもあてはまる。
そのように見分けがつかなくなったときに、「テレビ」というのは固有の意味を持ちうるのだろうか? iPhoneは電話、iPadはソファや書斎で使う文書やノートのようなもので、アップルはその次として、リビングなどに設置して使うiTVを出すといわれている。iTVといっても、中身はiPhoneとiPadの違い程度の差しかない、大きさが違うだけのものでいいじゃないかという意見もありそうだ。
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