スマートテレビとは何か?遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論(1/3 ページ)

» 2012年06月12日 13時33分 公開
[遠藤 諭,アスキー総合研究所]

「遠藤諭の『コンテンツ消費とデジタル』論」とは?

 アスキー総合研究所所長の遠藤諭氏が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。

 本記事は、アスキー総合研究所の所長コラム「0(ゼロ)グラムへようこそ」に2012年6月7日に掲載されたコラムを、加筆修正したものです。遠藤氏の最新コラムはアスキー総合研究所で読むことができます。


 「ケータイが普及してカップ麺の売り上げが落ちた」という議論があったのをご存知だろうか? カップ麺を食べながらテレビを見ていたのが、ケータイを使いながらテレビを見るようになったからという理屈だった。「ホントかいな?」と思っていたのだが、一般社団法人 日本即席食品工業協会のデータを見ると、たしかにiモードなどが定着した2000年代半ばには、生産数が減少している(全体では上昇基調の中で、前後数年間が落ち込んでいる)。

ちょっと前までは、みんな「テレビの前にいた」

カップ麺の生産数の推移(一般社団法人 日本即席食品工業協会の公表データより)

 カップ麺とケータイの相関性をきちんと説明するのは難しいかもしれないが、この話で重要なのは、消費者が家にいるときに「テレビの前にいる」ことが前提となっていたということだ。

 映画館の売り上げの半分は、ポップコーンやコーラなどの売り上げだといわれているが、客はコーラを飲むためではなく映画を見るためにきている。年配の映画鑑賞者が増えたので、ウーロン茶など、アッサリ系の食べ物をアピールした映画館があったが、結果は失敗に終わったという話もある。映画のために、脳の中の映像処理の効率を高めるための燃料として、コーラやポップコーンは補給されているような感じなのだろう。

 映画ほどではないが、テレビは、お茶の間のエンターテインメントの王様として、生活の中心にあった。20世紀の後半は、テレビによって家庭がメディアセンター化してきた歴史なのだと言ってよい(いまはスマートフォンによって個人がメディアセンター化しているのだが)。だから、テレビを見ているシチュエーションが、その時代の消費者を象徴していたわけなのだ。

 ここ数カ月、そのテレビのこれからについて何度か触れてきた。「テレビに未来がない? ウソだと思う」「スマホの普及&テレビ離れで、戦後最大のメディアイス取りゲームが始まっている」などだが、2012年4月25日にはMEDIVERSEと共同で「今、TVを見ているのは誰だ?」というワークショップを行った(参照リンク)

1年間で、テレビの平均視聴時間が1日当たり平均17.9分減

 2010年末から2011年末にかけて、テレビの平均視聴時間は戦後最大ともいえる、1日当たり平均17.9分減という大幅な減少となった。これだけ減った理由としては、単純に、家にあった何台かのテレビ受像機のうち、すべてを地デジに移行できたわけではないというのが大きいだろう。しかし、年間に巨額の広告費を使う企業にとっては、対前年で11.8%という減少を見過ごすわけにはいかないはずである。

性・年代別テレビ平均視聴時間の変化。2011年末と2010年末の比較で、全年代で平均視聴時間は減少している

 いろいろな角度から、テレビの視聴時間の減少分がどこに流れたかを分析しているが、たとえば、いちばん減少幅の大きかったのが女性の高年齢層だったことなど、ほとんど認知されていないようだ。ということで、テレビに関して、あるいはネットを含めて広告をより適切に配分するために、アスキー総合研究所のデータを導入・活用いただくという話が増えている。

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