いったい、なぜこんなお粗末なことになるのかというと、マスコミというのは「人に頭を下げる」ということを極度に恐れるからだ。
新聞社に入社すると「お詫び記事を出さない」ということを徹底的に叩き込まれる。確かに、不祥事企業や政治家の謝罪会見で、「なんで発表がこんなに遅れたんだ!」「ちゃんと謝れ!」とかエラそうに言っている連中が間違いだらけではカッコがつかない。
だが、記者は神ではない。せいぜい、有名大学の法学部や経済学部を卒業した程度で、電通や講談社などのマスコミ受験をしてたまたま引っかかったというフツーの人も多いので、官僚や政治家の情報操作に引っかかって、偏った話を流す。しかもわりと頻繁に。
だが、それを認めてしまうと諸先輩たちが築き上げた報道機関としての信頼が……という重圧がやがて「頭を下げないでやり過ごす」という「作法」を生むことになる。
「報道」には実は、茶道や華道に通じる厳密なルールがある、と私が主張している所以だ。
茶道の大成者である千利休は、天下人秀吉に逆らって、罪に問われた際にこのように述べたという。
「頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもございます」
権力に屈して自分を否定したら、茶の味が穢(けが)れるというわけだ。同じく「道」を名乗るマスコミも、そんな利休を真似る。
1カ月ほど前、日本テレビの「news every.」が特集「食と放射能 水道水は今」の中で、飲料水販売会社を取り上げた。だが、その時にブラウン管に登場させた「顧客」がその会社の経営者の親族だということが発覚した。
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