では、中国のアニメーション産業は、なぜこのような成長を成し遂げられたのか。隣国の日本人が知らない間に中国のアニメーション産業に何が起こったのだろうか。実はその裏には、中国政府の強力な後押しがあった。その徹底ぶりは一貫して民間主導であった日本から見ると、「そこまでやるの?」といったものである。
その発端は、2004年2月の青少年の思想道徳教育に関する中央8号文書だ。これにより、国産アニメ・漫画産業の制作・放映活動を支持・奨励するという理論が打ち出されたのである。
それと軌を一にして、同年に「音像」(音楽や映像、オーディオビジュアル)分野への税金優遇の拡大も検討され、さらに2005年からは中央財政による専門基金が設けられた。音楽映像分野の会社、特に創作性に富んだ作品に対する支援が具体的に実施されるようになったのである。
さらに国務院は「非国有資本の文化産業の参入に関する若干規定」を公布し、動画・アニメ・インターネットゲームやテレビドラマの制作・発行など、文化産業における非国有資本の参入を支持している。
このように8号文書を契機に、政府がアニメ・漫画・ゲーム産業育成の強化や、サービスの整備を重視するようになったため、それ以降アニメ製作会社が急速に増えたものと思われる。
中国政府がとった具体的な政策で特徴的なものを挙げてみたい。まずはアニメーション制作の許認可制度だ。
2005年、広電総局は「国産テレビアニメ発行許可制度」を発令、許可証がないとアニメを放映できなくなった。同時に「国家動漫生産基地」に対し、年間3000分の生産指標を示した。達成できない場合は「不良基地」とみなし、基地資格を剥奪、テレビアニメ許可証を発行しないというもので、各地の動漫基地を競争させ増産を奨励するという制度である。
このような発表を毎年行い各々の動漫基地、市や省を競わせたことで、前述のように大きく制作分数が増えたのである。
しかし、問題はこれらの国家政策の根底にある思想が「安くたくさん作れば売れる」というものであること。冗談ではなく、政府首脳部、幹部は真剣にそう考えているのだ。工業的な発想そのままである。確かに安くて生産性が高いというのは大切だが、アニメーションにおいてはそれだけでは済まされない。何よりも大切なエンタテインメント性という視点が致命的に欠落している。
恐らく、これらの政策を考えた世代は文化大革命中に思春期を過ごした人々ではないか。死と隣り合わせの混乱の時代においては、娯楽と無縁で過ごさざるを得なかったからではないかと思う。映画の場合、第5世代(胡錦濤主席の次の世代)のように文革をそのままテーマとして作品を作るという手段もあっただろうが、アニメーションの場合、そういうわけにもいかない。
中国政府によるアニメーション産業への強力な後押しには、人口減、高齢化社会が予測される中国の将来において、いずれ「安く大量に作る」といった産業からの転換が迫られるであろうという思惑があったからではないかと考えられる。その際、中国の若者を魅了していた日本のアニメを念頭に置きながら、より付加価値の高い産業をということで選ばれたのだろうが、そのアプローチはあくまで工業的なままである。
中国政府が次に打ち出した政策は外国製アニメーションの放送禁止である。といってもその8割は日本製であるから、実質的には日本のアニメに向けられたものであった。この措置は2006年9月1日から取られたもので、17〜20時のゴールデンタイムで外国アニメの放映が禁止された。そして2008年5月からは21時まで、2010年1月からは22時までという形で延長された(ただし、2006年9月以前に輸入されたものに関しては対象外)。
映画上映も認可制になっているためか、日本製の劇場アニメはほとんど上映されていない(これも、2006年9月以前に輸入されたテレビ番組の劇場版に関しては対象外になっているようである)。さらに、ビデオパッケージに至っては発売されているという話も聞かない。パッケージも認可制と聞いているので日本製アニメは難しいのかもしれないが、まあ発売したところで売れるかどうかは微妙だろう。……といった状況から見ても分かるように、日本製アニメは実質的に輸入禁止状態にあるのだ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PRアクセスランキング