グループディスカッションにみる就活生の傾向(2/2 ページ)

» 2012年05月11日 08時00分 公開
[田中雄,INSIGHT NOW!]
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論理的でありさえすれば良いのか

 では何が気になるのか? 私がこの討議に少し違和感を覚えるのは、論理的な進め方さえすれば良いのだと思っている学生が多く見受けられることにある。論理的な討議だけを目的としているせいか、学生個々人の「想い」や「感情」がまったく感じとれないのである。

 しかも、論理構築のプロセスにおいても、残念ながら「その論理はおかしい!」とか、「私はその論理展開に納得できない!」という論理そのものの議論をする学生もほとんどいない。何となく論理的であれば良いという雰囲気の中、安易な協調性だけが先行し、みんなが何となく合意しているケースが目立つのである。

 この傾向をちょっと斜めから見ると、感情のぶつかり合いや葛藤を避けるために“論理的な思考”を持ち出して、その論理をクッションとし、誰も傷つくことなく討議を終了させようとしているようにさえ感じてしまう。

 論理的に考える力は社会人として必要であることに間違いはない。人に何かを説明する時や説得する時など、論理的な思考ができないことには話にならないだろう。しかし、論理的でありさえすれば良いのかというと、そうでは決してない。これは新卒学生だけに言えることではないが、「論理」とそこに込められた「想い」のバランスが非常に重要なのだと感じる。そして、実社会においては、どちらが重要かと問われれば、後者なのかもしれない。

 自らを高めるためにさまざまな勉強をして、トレーニングを積む。しかし、努力をすればするほど、本来自然に持っている最も大切なものを失ってしまうことがあるのかもしれない。厳しい就職戦線の中、試行錯誤する学生たちに心よりエールを送りたい。(田中雄)

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