それでも桜は咲くのだ。花見ができなくなろうが東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/4 ページ)

» 2012年05月05日 00時01分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール

book 『3.11 絆のメッセージ』

 1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。

 著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「週刊 石のスープ」を刊行中。

 5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版。共著に『風化する光と影』がある。


 東京電力・福島第一原発事故をうけて半径20キロ圏内は昨年4月22日、警戒区域に設定された。1年が経ち、警戒区域と計画的避難地域は、放射線量にもとづいて、立ち入り自由な「避難指示解除準備地域」(年間20マイクロシーベルト以下)と「居住制限地域」(年間20〜50マイクロシーベルト)、立ち入りが制限される「帰還困難地域」(年間50マイクロシーベルト超)に再編された。空間線量は低くなっているものの、「一律帰還」を目指す富岡町などは今回の再編からは漏れた。

 私が郡山市の仮設住宅などで富岡町の人たちを取材するようになって、多くの人が「夜ノ森の桜」について、懐かしむように話をしていた。そのことが頭に残り、「夜ノ森」という言葉を何度も耳にした。「夜ノ森の桜を見たい」というのは、「富岡町に帰りたい」と同じ意味なのだろうと思ったものだ。

「一律帰還」を目指していた富岡町

 福島県の浜通りでは桜の名所がいくつかあるが、そのうち富岡町夜ノ森の桜並木は、町民にとっては町のシンボル的な存在であり、遠藤勝也町長にとっても、町おこしの手段でもあった。しかし、富岡町は「一律帰還」を目指していたが、警戒区域の見直しは延期された。夜ノ森で花見ができないのは残念だろう。

 遠藤町長は富岡町郡山事務所で行なわれた共同インタビューで、「今年になって警戒区域の見直しが予定されていたが、実現することができなかった。空間線量が低い地域もあり、実際には立ち入りができる場所もあるが、富岡町の場合は、一律で帰還するという考えじゃないと不可能と判断した。ただ桜をどうしても見せてあげたい。そのため、ライブカメラを設置した。メディアにも公開する。町民はある程度理解してくれるのではないか。必ずふるさと富岡に帰るという信念はあきらめていない」と話していた。

夜ノ森の桜(富岡二中付近)。町によってライブカメラが設置され、警戒区域に入れない人たちでも、夜ノ森の桜を楽しむことができるようにしてある
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