上司から部下だけじゃない!? 誰のためにパワハラを防止するのか(2/3 ページ)

» 2012年04月03日 08時00分 公開
[唐澤理恵,INSIGHT NOW!]
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何がパワハラを生むのか?

 さて、パワハラとはどんな状態をイメージするでしょうか。

 成績の悪い部下に対して、書類などを投げつけたり、デスクを蹴ったり……もしかすると、徒弟制度の残る料理人の世界などは今でも当たり前かもしれません。

 または自分にとって都合の悪い意見を持つ部下を左遷したり、給与を必要以上に下げたりなどが考えられます。これらは悪意をもったひどい例と言えるでしょう。

 一方、悪意はまったくなくても、ミスの多い部下をなんとか育てるために、あるいは何とか会社にとって利益がでるように部下に注意・叱責を続け、堪忍袋の緒がきれた瞬間に人権侵害言動が爆発してしまった結果ということも事象としては増加してきています。

 高度経済成長のころ、あるいはバブルのころ、上司から必要以上の厳しい指導を受けて育った人にとっては、そういった指導は決して悪ではありません。むしろ、古き良き時代の思い出でもあり、それこそが立派な部下を育てる育成方法と思いこんでいる場合が多いのです。

 社会全体が右肩上がりに伸びていた時代だからこそ許されていたことが、現在の混沌とした時代においては許されなくなってきています。上司のパワハラ的指導のもとでいくら身を粉にして頑張っても給料も上がらないのでは前向きにはなれないし、世の中に大きな役割を担っていると思えば耐えられることも、社内で隠蔽している情報が世の中にマイナスであるならば、自分のしている仕事へのやりがいやプライドがなくなってしまい、理不尽と言えるひどい叱咤を耐えることなど無理といえます。

出典:厚生労働省

 しかし、一方でパワハラになることを恐れ、上司が部下に対して必要な叱責・注意をできなくなっていることも現状として存在します。これは組織として大きな問題です。「事柄をしかっても人柄はしかるな」と言われているように、パフォーマンスそのものに対しては厳しい叱責は必要なことです。

 ところが、正当な叱責であれ、それによってストレスを感じる部下がメンタル不全に陥ったり、お酒に誘うことさえ誘いにくい状況において、パワハラ防止そのものが弱者保護ととられることもあるようです。

 ですが、それを弱者保護と思った時点でパワハラやセクハラ、そのほかのハラスメントそのものを防止することは不可能なことではないでしょうか。

 なぜか。

 それは私たち同じ人権を持つ人間同士は弱者・強者で分けることなどできないという視点から、この問題に取り組んでいかなくてはいけないからです。

 弱者・強者ではなく、人としての違いはあります。その違いを受け入れ、理解し、それを生かしていこうとする視点があれば、ハラスメントなんて起きないでしょう。国籍、民族、性別、年齢、生まれた場所、学歴、生きてきた環境、すべてが違いとなるわけですが、そういった異文化の相手といかにコミュニケーションを上手くとっていくかが問われる時代です。

 かつての古き良き時代のように、「あうん」の呼吸で分かってもらおうなんて無理な話だし、相手が黙って自分に従うなんて神様でない限りありえないことです。部下の態度が良くないと思えば、どんな状況におけるどんな言動が良くないのか、それがいかに会社にとって本人にとって損をすることになるのか切々と説明することが必要です。

 部下の立場でお酒に誘われて行きたくないのであれば、なぜなのかを相手の気持ちを考えながらちゃんと断ることが必要です。言いたいことがあるのにそれを言わずに黙っていると、逆に表情などの非言語の部分にそれを表れてしまいます。上司はそれを見逃さない。すると、逆にパワハラを受けやすい状況を作ってしまうのです。

出典:厚生労働省

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