“依存”ではなく“自立”を、ケニアのエイズ孤児を救うために世界一周サムライバックパッカープロジェクト(3/4 ページ)

» 2012年02月28日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

ポジティブな人が多い

――海外に渡った理由やキッカケを教えて下さい。

谷澤 学生時代に語学力向上のために米国へ渡ったのが海外へ渡った初めての経験でした。ここで語学への自信が付いたこと、そして異文化への興味を持ったことがその後のステップに大きく影響したと思います。

 ケニアの駐在を決めた時は、無力ながらも自分たちで事業を一から作ることができ、もう一度現場の仕事に戻れることが楽しみでしたね。

 何よりも、現場での仕事は活動の成果を直接目にすることができ、住民からの反応をダイレクトに感じられるのが刺激的です。また、日本の事務局を支えてくれる信頼できる仲間がいたことも海外への一歩を後押ししてくれたと思います。

――海外で活動するという志向をもともとお持ちでしたか?

谷澤 強い想いがあったというわけではありませんが、当時世界を舞台に活躍されていた緒方貞子さんや明石康さんについて授業で学び、漠然とまだ見ぬ世界に憧れを抱いていた気がします。

 大学では「将来的に海外で仕事できるようになりたい」と考えていましたが、まさかこんなに早くその日が来るとは思ってもいませんでした。

――ケニアと日本の違いをどういった部分で感じていますか?

谷澤 色々な意味で大らかなところでしょうか。良くも悪くも、こんなに大ざっぱに生きられるものなんだなあと思いました。

 時間に大ざっぱなのは想像に難くないかと思いますが、仕事に対しても“全力を出し切る”ではなくて、ゆるりとやるところ、細かいところは気にしません!

 そしてポジティブな人が多いですね。「どうにかなる」と、私からするとまったく根拠のないポジティブさ全開で、でも大体どうにかなってしまうという不思議。どうにかなるものみたいです。

――言語の壁以外に、ケニアに来てから立ちはだかった困難はありますか?

谷澤 困難というほどの困難ではないかもしれませんが、たとえお金を持っていなくても肌の色の違いでwalking dollar(歩くお金)と認識されてしまうのは何かと不便ですね。

 初めてケニアに渡航したころとは違い、3年もいるとたいていのことには慣れてしまいますが、ケニアの食文化の貧しさ(調味料が少なく味が単調)は3年経って改めて気付いた残念な点です。

――海外(ケニア)で活動すること、生活することの魅力について教えてください。

谷澤 自分の常識が通じないのが当たり前なので、フレキシブルになれると思います。ないもの尽くしなので少ないリソースでやりくりできるようになったり、待ち時間が長くなることを見越してスケジュールを組んだり、大概のことには動じなくなったりします。

 私も元来は時間にうるさい、細かい人間でしたが、こちらで生活するようになってからかなり大ざっぱになってきたと思います。

 ケニアはアフリカの中でも観光資源の多い国なので、アクティブな方にはオススメです! 野生動物の宝庫である数々の国立公園、コバルトブルーの海もあり、アフリカ最高峰のキリマンジャロやケニア山を登山することもできます。

 これはケニアに限りませんが、異国で暮らすことで日本を客観的に見ることができ、日本が前よりも好きになりました。

 食べ物のバラエティの多さはもちろんのこと、治安の良さや賄賂を払わなくても高水準のサービスが受けられることは“当たり前”ではないのだと改めて気付かされました。これらは先人が積み上げてきた努力の結晶にほかならないのだと感謝の気持ちでいっぱいになります。

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