JR東日本は三陸から“名誉ある撤退”を杉山淳一の時事日想(1/6 ページ)

» 2012年02月24日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一の +R Style」を連載している。


 東日本大震災から7日後の3月18日。タンク貨車18両の燃料輸送列車が、神奈川から盛岡に向けて走り出した。不通の東北本線直行ルートは使えず、上越線経由で日本海を回るルートで、このタンク貨物列車は毎日2本走った。そして3月25日からは郡山へ向けたタンク貨車も走った。ローカル線の磐越西線を経由するため、途中で編成を分割して郡山へ。JR貨物とJR東日本の連係プレーに、鉄道ファンだけでなく多くの人が胸を熱くした。

根岸線根岸駅付近の燃料積み込み基地

 JR東日本は電力でも支援している。首都圏の夏の電力供給が不安定な中、JR東日本は自社の川崎発電所から東京電力に供給した。信濃川流域の水力発電所も同様だ。取水問題で迷惑をかけられた地元十日町市が、このときばかりは協力して取水増量を申し出てくれた。

 JR貨物も、JR東日本も、十日町市も大地震の被災者だ。それにもかかわらず復興へ向けて身を削った。そこに筆者は感動した。東北新幹線の早期復旧やボランティア支援きっぷの発売など、JR東日本の懸命の努力も賞賛に値する。

 しかし今になって、JR東日本の態度がブレている。いや、ブレていた、というべきか。おかげで被災地とJR東日本の関係がギクシャクしている。

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