中世のカーニバルには現代の感覚からは想像できない驚きの習慣があった。
まずカーニバルに先立ち、市民から王様を選ぶ。カーニバルの数日間、カーニバルの王様は何でも好きなことが許され贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の生活ができた。そしてカーニバルが終わるとカーニバルの王様は処刑される運命にあったという。庶民には絶対に経験できない夢の数日を過ごし、その代償を命で支払ったわけだ。
今もカーニバルを前に「乙女」「王子」「農夫」の3役が選ばれる。王子はカーニバルの秩序を統制する「権力」、農夫は「市民」、乙女は「美しさ」を象徴するとのこと。なお乙女も男と決まっていて、3役に選ばれるのはケルン市民の憧れらしい。
中世の頃は「仮装祭り」と呼ばれ、市や教会の怒りを買う催しだった。しかし、初春を祝う市民のエネルギーをとどめることはどんな権威にもできなかった。現在のような仮装の習慣が始まったのは18世紀のことで、ベネツィア・カーニバルを模した。1732年に貴族や金持ちによる、最初のレドーテ(仮装舞踏会)が開催された。
カーニバル期間中、ケルンの街はある種のカオス状態に突入する。
テンションの高まった酔っ払いに来られては大変なことになるから、カーニバルの初日(木曜)とパレードのある月曜はほとんどの小売店が休業する。高級ブティックや宝飾店に至ってはショーウィンドーを割られないようベニヤ板で囲う念の入りようだ。
アルコールは禁止されていないが、酔っ払いはガラス瓶を投げるので、3年ほど前から安全のため主会場へのガラス瓶持ち込みが禁止されている。要所に市の係員が立ち、簡単な持ち物検査を受けないとその先へは進めない。
筆者はドイツに住んで10年以上になるが、正直なところドイツ人がこれほどカーニバルに陶酔する理由がいまだに分からない。きっと、真面目に意味を考えること自体ナンセンスなのだろう。身も心も開放して、来年のカーニバルは自分も参加してみようか、とも思う。
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