さて、因果一如というコンセプトを、「仕事・働くこと」に引き付けて考えるとどうなるか。
私たちは、働いたことの報酬としてお金をもらいたい。できれば多くもらいたい。しかし、「利」ばかりを追っていくと、「もっと多く、もっと多く」の欲望が加速する。そうなると逆に、少ない金額しかもらえないとなると、とたんにやる気がなくなる。
「これだけストレスを抱えながら働いているのに、これっぽっちの給料か……」と、少なからずの人たちが神経と身体を痛めながら日々の仕事をこなしている。金銭という外発的動機に動かされている限り、こうした状況は変わりなく続く。
そうした中で私たちは、東日本大震災後に多くのボランティアが全国から駆け寄り、無償の汗を流しながら、とても良い笑顔を見せる光景に数多く触れた。それは「利」を求めての行為ではなく、「善」の行為であった。「善」の行為は内発的動機であり、それをやること自体がすでに報酬なのだ。つまり、因果一如の姿だ。
「善」に関わる仕事内容──つまり他者の喜ぶ顔や社会貢献につながっている仕事は、それ自体で報われる。
「真」に関わる仕事内容──つまり科学者の研究のように真実を追求する仕事は、それ自体で報われる。
「美」に関わる仕事内容──つまり自分の美意識のもとに創造をする仕事は、それ自体で報われる。
私はここで「だから安い給料でも良い」と言っているのではない。給料は経営にきちんと目を張って、相応のものをもらうべきだ。
ここで私が主張したいのは、1人1人の働き手が、1つ1つの組織が、仕事・事業の向け先として「(経済的)利」追求に偏った流れから、「善的なもの」「真的なもの」「美的なもの」にシフトさせていく努力を怠ってはいけないということだ。
「そんなキレイごとを言っていたら、熾烈(しれつ)なグローバル競争の中で勝っていけない」と少なからずの経営者は言うかもしれない。しかし、低価格路線という「利」の競争次元で戦えば、日本は新興諸国に負ける可能性が大きい。
むしろ、知恵や技や感性をもった日本は、位相を変えて戦うところに勝機がある。すでに米国のアップルは「美」的次元で独り勝ちをしている。
社員に対して、「利」の価値一辺倒で危機意識をあおるやり方は限界がきている。「善」「真」「美」といった価値を軸にすえた仕事観・事業観のもとに、「働きがいのある」職務・職場に変えていこうと努力をする組織、そして意義やビジョンを雄弁に語ることのできるトップ・ミドルがいる組織は、結果的にしぶとく生き残っていくだろう。
「そんな青臭い正論など抽象論議に過ぎない」。こう思われる読者もいるかもしれない。が、そんな正論めいた抽象論議を真正面からとらえて、具体的に、働くことのあり方や事業のあり方、組織のあり方を進化発展させていくのが、先進国ニッポンの真のチャレンジテーマではないのか。
「スティーブ・ジョブズが東洋の禅思想に傾倒していた」と日本人は誇らしげに語るが、当の私たち日本人はどれほど自国が育んだ思想・哲学を知り、現代に蘇生させているだろうか。
「その行為にやりがいがあり、その行為をやった瞬間にすでに報われている(=因果一如)」──過去の賢人たちが残してくれたこうしたコンセプトは、抹香臭い観念ではなく、新しい時代に生かすべきアドバンテージであり、テコであり、武器なのだ。
そしてこれを見事にやってこそ、ニッポンは再び力を得るだろうし、先進国として、文化発信国として、存在感を増すようになる。(村山昇)
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