スティーブ・ジョブズも傾倒した東洋思想の本質とは(2/3 ページ)

» 2012年02月15日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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「If you build it, they will come」

 2011年の中日ドラゴンズのリーグ優勝は、2月時点ですでに決まっていた──この見方が、仏教思想でいう因果倶時だ。もちろん物理的には、4月からリーグ戦が実際に始まって10月に優勝が決まる。この時間差について仏教は「因果異時(いんがいじ)」という対の概念を用意している。

 こうした原因と結果を一体化してとらえる観念は、東洋世界が生み出した優れた観念ではないかと思う。

『フィールド・オブ・ドリームス』

 道教(タオイズム)にも、「道を求めたければ、師を求めるな。道を求めた時、師はやって来る」といったような言葉があったと記憶する。これもまさに、因果を1つのものとしてみている。ここで私は、ある言葉を思い出す。ケビン・コスナー主演の米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』で出てくる有名なフレーズだ。

 「If you build it, they will come(それを造れば、彼らはやってくるだろう)」

 本質的には、それを造った時点で、彼らがやって来ることが決定しているのだ(現象面では時差が出るが)。

 さて、2月も2週間が過ぎようとしている。2012年が実り多き1年になるかどうかは、この2月の行動具合で決まってしまうととらえると、うかうかしてはいられない。「どんな原因を仕込むか」と「どんな結果が得られるか」は一体なのだ。

 そう、そして、もっと言えば「一日即一生」。1日1日という原因の積み重なりによって、一生がどんな果実となるかは決まる。1日の中に、すでに自分の行く末の姿はあるのだ。

善行を積めば宝くじに当たるか!?

 昔から「情けは人のためならず」ということわざがある。「他人に施した善い行いはめぐりめぐって自分に帰ってくる」という意味だ。これは真実だろうと思う。

 だから、私たちの中には日ごろから善いことをいろいろしていけば(=原因を積んでいけば)、将来、宝くじに当たる(=結果が出る)かもしれないと期待する人もいるだろう。

 しかし、これを「因果一如」とは言わない。日ごろ行う善行の“因”と、宝くじに当たる“果”はまったくの別の出来事だからだ。因と果が一対一でつながっていないと言おうか。もし、私たちが何か人に善いことをしたのであれば、その行為と同時に自分の気持ちがすがすがしくなっている。そのすがすがしさこそが結果・報いであって、これを因果一如と呼ぶ。

 ちなみに、先ほどの「情けは人のためならず」をサポートする観念としては、「陰徳あれば陽報あり」という言葉がある。いずれにせよ、善い行いというのは、自分の境涯という土壌の肥やしになるようなもので、いつか自分が立派な花を咲かせ、実を結ぶためには、いくらまいておいてもよいものだ。

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