“消えた原発記録”、訴訟が情報開示で果たす役割とは(2/3 ページ)

» 2012年02月07日 13時16分 公開
[堀内彰宏Business Media 誠]

公開されなかったことに対する4つの疑問

江藤 福島原発訴訟で政府が提出を強いられたこの文書の不思議な使われ方は、4つの新しい疑問を生んできます。

 まず、もしこれが個人の所有物であったら、どう扱うのも自由です。しかし、福島原発事故についての貴重な教訓は誰か個人のものでしょうか。これを勝手に扱ったり、捨てたりするのは、アフガニスタンでタリバンが貴重な遺跡を壊したのと同じで、人類の共用すべき財産の取り返しのつかない破壊に思われます。

 2つ目に国民に対するアカウンタビリティ上の疑問です。政府の事故検証委員会の中間報告によれば、「原発事故についての想定に基づいたシミュレーションは、情報公開法を通じてでも国民に公表しないと政府で決められた」とあります。それにもかかわらず、1月30日の毎日新聞記事で細野豪志原発担当大臣は「情報公開請求をされたら公開するつもりだった」と言っています。

 この2つの見解は矛盾しますから、「どちらが正しいのか」という問題が生じます。これは私には細野氏の言い分が筋が通らないように思います。そもそも日本の法律で情報公開請求をするためには、政府の中のどの部署がその文書を保有しているのかを、請求する人がかなり細かく特定する必要があります。しかし、公文書として管理されておらず、「細野さんがコピーを全部回収した」と言われている文書について、どこに請求すればいいと考えておられたのでしょうか。

 3つ目にそもそも裁判を通じてデッドラインを決められなかったとしたら、野田内閣はいったいいつシミュレーションを公表したのでしょうか。あるいは永遠に沈黙を守るつもりだったのでしょうか。

 最後に議会である国会にもこの情報は報告されませんでしたが、これをどう正当化できるのか。それが最大の疑問点です。そもそも、日本は議会制民主主義をとっています。これは議会と政府との議論を通じて、国民が間接的に政府をコントロールする仕組みです。

 2011年も当然、リスクや費用からみた原発存続の是非や危機管理の方法が議会の主要な論点として扱われ、膨大な議論がなされました。しかし、その判断に欠かすことのできないこの決定的な文書は政府から議会に出されませんでした。その結果、原子力発電のリスクと効用についての不十分な情報と、誤った前提のもとにしか、国会は事故の検証も今後のエネルギー政策についての議論もできなかったことになります。

 なお細野氏らが主張する「パニックを起こさないために公開しなかった」という理由は、政府が議会に対して報告を怠ったことの理由にはなりません。なぜなら日本では憲法57条と国会法52条2項に、センシティブな情報について議論するために国会が非公開で会議を行う秘密会の規定があります。特に後者に基づく秘密会はこれまでもしばしば運用されてきた実績があります。

 ひょっとして政府は「それでも議員の中には秘密を漏らすものがいるかもしれない」と考え、議会を信用していなかったのでしょうか。しかし、日本や英国の国家体制、すなわち議院内閣制は議会が内閣を信任する制度です。内閣が議会の信用性を判断する制度ではありませんし、内閣が情報をコントロールして、議会を通して国民の行動をコントロールする制度でもありません。

 以上のように、内閣が去年の間ずっと恣意的に重要な情報を扱い、議会が正しい議論をすることを阻んだことは、日本で議会制民主主義が始まって以来の最も大きなスキャンダルです。このような重要な情報を議会から、また世界から隠していた人間については説明されるべきです。

 福島の事故でどの程度大きなリスクが生じていたのかという問題は、イランがホルムズ海峡に機雷をまくのかどうかに劣らないくらい、人類のエネルギー政策を左右し、未来の世界に影響を与える問題です。細野大臣や野田総理は私が今座っているこの席に来て、消えた原発文書について、明快かつ合理的な説明をするべきです。かつて、田中角栄氏がロッキード疑惑について日本外国特派員協会で行った時のように、疑惑についての弁明をするべきです。

細野豪志氏

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