コラム
» 2012年02月06日 08時00分 UPDATE

藤田正美の時事日想:何が日本の政治改革を妨げているのか (1/2)

日本に限らず、世界でも「政治の劣化」がささやかれるようになっている。私たちが選択している民主主義が機能しなくなっているのはなぜなのだろうか。

[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 このところずっと気になっているのが「政治の劣化」ということだ。それは社会のいろいろな問題について、政治(あるいは政治家)が解決策を示すことができないように見えるからである。テレビなどで政治家の議論を聞いていても、納得できる話を聞いたことは滅多にないと思えてしまう。

 日本だけではないのかもしれない。イタリアのベルルスコーニ前首相には昔から大きな疑問符が付いていた。「リーダーとしてふさわしくない」という評価は、ウィキリークスで外交公電が暴露されるはるか以前から周知の事実であった。英エコノミスト誌は歯に衣着せぬ論評で有名だが、ベルルスコーニ首相の顔を表紙に掲載して「辞めたほうがいい」と書いたのには少し驚いた(ちなみにわが日本の森喜朗元首相も、同誌の表紙で「辞めろ」と書かれた1人である)。

ah_huzita1.jpg イタリア政府公式Webサイト

 そのイタリアは国の債務が増えたことで、市場から国債を売り込まれ、資金調達が苦しくなった。ベルルスコーニ前首相はそれを理由に退陣に追い込まれ、その後に政治家が1人もいない内閣が成立した。「財政再建テクノクラート内閣」である。結局は次の選挙を気にする政治家では、国民に痛みを強いる改革はできないということなのだろうが、日本では真似のできない芸当だ。

 日本の内閣は民間の専門家だけで構成することはできない。憲法による制限があるからだ。憲法67条には内閣総理大臣は国会議員の中から指名されることが規定されており、さらに68条には総理大臣が指名する国務大臣の過半数は国会議員でなければならないと書かれている。

 もちろんこの規定は、選挙という過程を経ない人々が政治の実権を握ることを禁じたものであり、その意味では民主主義の根幹と言ってもいい。「権力の行使は有権者によって付託された人々が担うべきものである」というのは民主主義社会の大原則だ(小泉純一郎首相の時に経済政策で大きな力を振るった竹中平蔵国務大臣は民間人であることを理由に批判され、後に参議院選挙に出馬して当選した)。

 もっとも民主主義だから政治的な意思決定がうまく行くというものでもない。第一、この仕組みは時間というコストがかかる。第二に、民主主義による決定がいつも正しいわけではない。むしろ振れるのが普通であり、その振れ方によってはとんでもない権力者を生み出すことがある。あのヒトラーでさえ最初は選挙で選ばれた(もちろん当時のドイツの社会状況が影響している)。第三に、選挙を前提としている以上、政治家が打ち出す政策は常にポピュリズム(大衆迎合主義)的な色彩を帯びがちである。増税による財政再建ができないとか、本来は引き下げるべき年金支給額を引き下げないというのはこのためだ。

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