スタートから2年半、裁判員制度の意義とはちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2012年01月23日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2010年1月23日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 2009年5月に始まった裁判員制度。当初は過熱ぎみの報道がされていましたが、最近は落ち着いているようですね。

 一般市民が重要犯罪の裁判に参加するこの制度を、次の3つの理由により、ちきりんは高く評価しています。

裁判員制度公式Webサイト

1.司法判断に多様な価値観が反映できる

 日本で職業裁判官制度への支持が厚い背景には、「国民の大半が同じ価値観を共有している。だからみんなで話し合って決める意義は小さく、知識と経験のある職業裁判官が代表して裁けばよい」という前提があるからでしょう。

 しかし、今や日本人の価値感も相当に多様化しており、それらの“多様な考え”を判決や量刑に反映することには大きな意義があります。

 例えば、年老いた病気の妻を何年も介護し、その生活に疲れた夫が妻を殺害したというような事件に関して、「有罪か無罪か」「どの程度の量刑が適切か」という意見は人によって違います。

 裁判官になるような人は、その多くが似通った環境で育っています。「老老介護の現実」について思い浮かべることも、裁判官と一般市民では大きく異なるかもしれません。そうであれば、多くの人の考え方を反映した判断がくだされることの意義は小さくないはずです。

 正義とは天から降ってくるものではありません。「誰か自分たちより優れた人」が決めてくれるものでもないのです。その時代に、その社会に生きている人たちがみんなで、「今のこの時代において、何が正しいとされるべきなのか」という価値感を形成するのです。

 社会における価値感がますます多様化しつつある今、こういった制度を導入したことの意義を、ちきりんは高く評価しています。

2.司法プロセスの質の向上が見込める

 今まで検察官や弁護士は裁判において「いかに裁判官を説得するか」を競ってきました。検察官と裁判官、さらに弁護士は元々は同じ試験勉強をし、一緒に研修を受けた仲間です。過去の経歴も似通っています。

 しかしながら裁判員制度になると、検察官は裁判官に加えて、“多様な一般市民”をも説得する必要が出てきます。

 「自分のよく知っている人たち」を説得するのと、「よく知らない、毎回違う、いろんな人たち」を説得するのと、どっちが大変ですか? どちらが「より周到な準備」が必要でしょう?

 当然、後者の方が難しいし、準備も大変ですよね。“あうん”の呼吸の通じる部分が小さくなり、誰にも分かりやすい、世間で通用するロジックで資料を用意しなければ主張が通らなくなります。

 裁判員制度について「プロの仕事の、市民への丸投げだ」という批判も聞くのですが、今回、司法関係者の仕事が(丸投げで)楽になったりしているわけがありません。むしろ、その準備は格段に大変になったはずです。

 今回の制度の導入で、検察側も弁護側も「仲間内だけで通じる論理と証拠」では公判ができなくなりました。彼らは「一般の人たちは、どういう風にモノを考え、何を正しいと思うのか」を考えるようになります。「一般市民を理解する」ことが、職業司法人に求められるようになるのです。それってすばらしいことですよね。

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