効率化の果てに「待つ」ことを忘れた私たち(1/2 ページ)

» 2012年01月20日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 悪神のささやき───

 「人間というのは実に勤勉な動物であることよ。太陽の巡りで1年に1回しか収穫できない作物をハウスをこしらえて2回の収穫にしてみたり、工場の中に水を流し、電灯を点けて10回にしてみたり。

 24時間365日は動かないけれども、回転数を上げることでそれを何倍にも使う。人間たちはそうして現在を圧縮することに成功したわけだな。

 いや、それにしても、PCの処理速度をどんどん上げていった先には、自分たちが“ラクでヒマができる”生活があるはずじゃなかったのかい? これまで1日かけてやっていた作業が半日になり、2時間になり、1時間になった。そりゃめでたいことだが、はて、そこで浮いた時間はどこへ行った……?

 さ、そこに置いてあるワインとチーズを食わせてもらうことにしようか。ほほぉ、『10倍効率もの』か。10年熟成のワインを1年でこしらえ、10カ月熟成のチーズを1カ月でこしらえたものなんだな。いや人間の知恵は素晴らしい。さぞ、うまいに違いない……」

時間に人間が使われていないか

 私たちはスピードを上げること、回転数を上げることで、有限の時間に対し、生産性向上・効率というものを手に入れた。だからこそ、戦後の日本は人口増加にも対応できる消費財の量を供給することができ、また、低価格を実現させて、国内外に売り、国富を獲得してきた。

 時間を効率化して使うこと自体は問題ではない。むしろ奨励されるべきことだろう。しかし、そこには常に「即席文化」を助長する力が働く。そして最も恐るべきは、人間が時間を使うのではなく、時間に人間が使われるようになることだ。

 高速回転しながら量をこなす生活は、果たして濃密に豊かなものなのか。それとは真逆で、スカスカになっていやしないか。

 高校生の時、初めてラブレターを書いた。何度も何度も推敲して書いた手紙を投函したその刹那から、「明日届くのかな、あさって届くのかな」、1日経てば「今日見てるかな、まだ未配達かな」、2日経てば、「今日見てるかな、彼女のお母さんが怪しんでいないかな」などと、ヤキモキ思いを巡らせたものだ。

 1990年代初め、私はアップルのMacintosh Quadraを買って使っていた。当時の写真画像処理ソフトPhotoshopは、今からするととても非力で、ちょっとしたレタッチ処理でも、5分や10分、30分、時には数時間を要した。画面には、例の腕時計のアイコンが針を回しているのが映るだけで、処理がいつ終わるのかは、まさにPCのみぞ知る、だった。うまく処理してくれればいいが、辛抱強く待ったあげくに、マシンがフリーズすることもざらだった。

 けれど、その待っている時間は、過熱した頭をしずめるのにちょうどいい小休止で、熱いコーヒーをすすりながら過ごしたものだ。すると、別のデザインアイデアや思考がふぅーっと湧いてきて、結果的にそれがとても創造的な時間になるのだった。

 私の実家は三重県の片田舎にある。地域の足として近鉄電車の支線が走っている。運行本数は1時間に3本程度だ。だから1本を逃すと待ち時間が長い。だが、子どものころを振り返るに、電車の待ち時間が長いと感じたことは少ない。私は、いつも駅のホームから西に連なる鈴鹿山脈の稜線を飽きずに眺めていた。山脈の稜線はギザギザに富んでいて形状が面白い。日の入り時刻ともなればとても美しいシルエットを見せてくれた。

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