――現在の活動内容・仕事内容(Ruise Bなど)について教えてください。
ルワンダの伝統工芸品であるバスケット、及び嫁入り道具として新婦が結婚式の際に持たされるアガセチェ(蓋付バスケット)を中心に日本に輸出をするコーディネートを行っています。
日本からのオーダーに基づいて、16の生産者組合約250人がバスケットなどを生産し、約2週間後には、生産されたものの品質をチェックし、品質基準に合っているかなどを確認の上、買い上げ品を確定しています。
商品がそろった時点で、生産証明書や輸出資格証明書などをこちらで準備した後、輸出の手続きを輸出代行業者に委託し輸出を行います。
また、バナナ収穫後の幹からとれるバナナ繊維を生かした工芸品や布地作りを通じて、バナナ工芸品に携わる女性たちの収入向上につなげるバナナ繊維プロジェクトのコーディネーションや、個人で投資をして、まだルワンダでは生産実績がないリンゴの栽培なども行っています。
――Ruise Bの活動で、ルワンダの作り手のみなさんのクオリティや期限等の管理面において、工夫されていることはありますか?
ビジネスを始めたばかりのころは、オーダーをしてもサイズや色、仕上がりにかなりばらつきがあり、基準をどう守ってもらうかに苦心しました。
織り子の女性たちの組合を1つずつ回り、良いバスケットのサンプルと悪いサンプルを比較してどう違うのかを示すとともに、女性たちを集めたセミナーも開催し、日本市場の特徴などを説明し、「ビジネスを通じて一緒に汗を流しましょう」と呼びかけることにより、女性たちも真剣になりました。
もともとこのビジネスを始める前は、バスケットを作っても売り先がなかったので、織り子の女性たちは、最初は本当に売れるのかと半信半疑でした。
しかし、ビジネスを開始してみると、実際にオーダーが継続していく中で彼女たちの収入が上がり、生活が少しずつ改善できるのが彼女たちにも実感できるようになった結果、女性たちの自信につながっていくとともに、次第に商品の均一性も向上しました。
このビジネスの確立にあたり、JETROが支援してくれたのは大変大きいものでした。特に、JETROの支援を通じて作成されたバスケットの制作ガイドブックは、織り子の女性たちひとりひとりが細かい基準をビジュアルで確認できるため好評で、品質向上に大いに役立っています。
――海外に渡った理由やキッカケを教えて下さい。
海外留学の経験はあったものの、アフリカの地に住み働くとは、夫に相談されるまで考えてもみなかったのが正直なところでした。
なので、夫がルワンダに赴任が決まってから、ルワンダに関する映画『ホテル・ルワンダ』やアフリカ関連の映画を見て、想像を膨らませましたが、見るとかえって「どんな生活になるんだろう」と不安がわいてきました。
幸い、2007年3月に夫が先に赴任してから、ケニアで開かれた会議に参加することがあったので、ルワンダにも立ち寄って見に行って様子をうかがいました。
少々どきどきしながら歩き回ってみると小ぎれいで、ルワンダの土地は千の丘と知られるように、首都キガリでも丘の連なりが見える素朴な街の風景が広がっていて、子どもたちの笑顔が明るいのが印象的でした。
治安も夫から聞く限り良さそうでしたし、ちょっと街をのぞいただけですが、何やら不安がだいぶ取り除かれました。
不安がほぼなくなったので、そこからは自分ができることを見つけて頑張ってみようという意気込みでルワンダに移住し、今まできました。
結果として飛び込んでみて、自分でプロジェクトを始めてみたことで、いろいろな人のネットワークがルワンダや日本に広がり、今の仕事につながったんだと思います。
――海外で働くという志向をもともとお持ちでしたか?
海外留学をしましたが、帰国後は日本で働いていましたし、できるだけ専門分野を生かした形で、海外との接点を持つ仕事、できれば独立したいとは思っていましたが、職場として特段強い海外志向があったわけでもありませんでした。
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