津波で町は流されたけど……石巻市雄勝地区の成人式東日本大震災ルポ・被災地を歩く(3/3 ページ)

» 2012年01月16日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]
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振り袖の支援を

 成人式の華といえば、女性陣の振り袖姿。しかし、雄勝地区内の呉服店は流されてしまい、これまで同様の成人式ができるかどうか危ぶまれていた。そんな中、「振り袖の着付けやヘアメイクで被災地支援をしたい」という人たちが現れた。金子啓巳氏を代表とする「JINRIKI隊」だ。

 もともと金子さんたちは、石巻市や東松島市、女川町の被災動物や市の飼育者への支援を行う「石巻動物救護センター」で知り合った。9月に仮設住宅が完成し、被災者から預かっていた動物を返すことになり、センターは閉鎖することになった。その後、金子さんたちは「もっと自分たちでできることをしたい」ということで、JINRIKI隊を結成したのだ。

 成人式の支援はスタッフのアイデアだった。七五三の季節になった時、「成人式で振り袖を着れない女性がいるかもしれない」と思ったスタッフが、成人式のために着物を集めて、着付けやヘアメイクの支援をしようと考え付いた。金子さんの友人が、雄勝中の生徒たちが演奏した「雄勝復興太鼓」の支援をしていたため、成人式の担当者と結び付くことができた。

 着物の支援を申し込んだのは8人(雄勝地区以外の4人を含む)。大学2年生の永沼まどかさん(19)は「地元でもできるし、(着物、着付け、ヘアメイクの支援に)人とのつながりを感じる。感謝しきれない」と話している。将来は小学校からの夢という教員になり、「地元に戻ってきたい」との願いがある。

 家に被害はなく、家族にも犠牲者はいなかったという高橋ひとみさん(20)だが、親類が震災の犠牲となった。「(着物支援など)協力してくださったみなさんには感謝したい。まだいろいろやりたい。大学ではデザインを学んでいる。石巻の復興の力になりたい」と話す。夏には子どもが産まれた。名前は「琥太郎」で、強い子になってほしいとの願いが込められている。

 老人福祉施設でヘルパーをしている男澤育さん(19)は、地震があった時には利用者の対応に追われた。雄勝に戻ったのは、津波が押し寄せた2週間後。「コンビニがあったところには何もなかった。雄勝は大丈夫だと思っていたので、びっくりした。実家は流出してしまい、着物は着れないと思っていたが、借りることができ、感謝しきれない」。

母親の尚子さんが、男澤育さんの晴れ姿の写真を撮っていた

 さまざまな思いを胸に抱えつつ、それぞれが新たな決意をした被災地の成人式。石巻市雄勝地区はまだ復興段階ではない。

 彼ら彼女たちの恩師の1人で、私がこの成人式を取材する動機の1つとなった教師の徳水博志さんは「しばらくは(雄勝の)外に出て行っても構わない。しかし、5年後、10年後の雄勝を支えるのは新成人の世代だ。雄勝復興の主人公になってほしい」と話していた。雄勝を含め、被災地の復興は長期戦だ。そのためには若い世代が地域にどれだけ残り、支えていくかが1つの鍵となるだろう。

新成人たちの集合写真

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