「絆」というキーワードが、危険な意味を含んでいるワケ津田大介×鈴木謙介、3.11後のメディアと若者(6)(4/5 ページ)

» 2011年12月21日 08時02分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

「身内で支え合おう」という考え方

鈴木:僕は「政治家には期待できない」とは思っていません。「政治に何を期待するのか」ではなく「政治にできること」という意識に変化すれば、やろうと思ってもさまざまな壁に突き当たって動けないでいる若手がかなりのことをできる余地があると思っています。

 ただそうした部分を差し引いても、今後、社会を支える人間関係が変化して、政治の役割を補完していくのだろうと思います。特に僕は、人と人とのつながりが“活性化”していくと見ています。

 なぜかというと、日本社会というのはかつてムラ社会だった。ムラ社会から近代社会になったときに、人とのつながりがどう変わったかというと「経済」を中心とするものに変わった。今の私たちの生活は「ほしいモノがあれば、お金を支払って購入する」という前提で成り立っています。どこにいてもお金さえあれば、ほしいモノを手に入れることができるシステムを作ってきました。

 お金でつながる仕組みは、自分たちだけでは手に入れられないものを届けてもらったり、入手したりするのにとても便利な手段です。ところがいま多くの国では、このお金でつながる仕組み、つまり資本主義が槍玉に挙がっています。なぜなら「お金がない人をどうすればいいのか」という問題が見られるようになってきたから。資本主義というのはお金が必要なのに、お金がない状況に陥る人が増えてしまったんですね。

 こうした状況に対し、特に現在の日本では「家族が大事」「地域が大事」といったことが言われています。が、その内実は「とにかく身内で支え合おう」というもの。僕はこの考え方、日本では非常にまずい方向に作用すると思っています。

津田:それはなぜですか?

鈴木:SQ “かかわり”の知能指数』の本を書こうと思ったのは、昨年の夏大阪で児童2人がマンションに閉じ込められて亡くなってしまうという事件が起きたことがきっかけです。お母さんはキャバクラで働いていましたが、そのマンションには知り合いがいなかった。正確に言うと、知り合いがいない状況に置かれていた。なぜかというと、同じキャバクラで働いている人と同じマンションに住んでいると、一緒に辞められる可能性が高いから。だからキャバクラを経営している会社は、女性たちを同じマンションで住ませることはしない。

 「絆」が必要な人というのは、どうしても流動的で、不利な状況に置かれがち。つまり、人とのつながりがつくれない状況になってしまう。そのときに「絆を取り戻しましょう」と言うと、もっとも流動的で不利な人々を「見えない」状態にして、内輪で仲良くできる人たちが地域の担い手として可視化されてしまうわけです。

 そうした状態は「絆格差社会」とも言えるのではないでしょうか。本当に助けが必要な人たちを、シャットアウトしなければ生まれない絆。そうした状況を変えていこうとすれば「できる限り仲のいい人たちとつながりましょう」ではなくて、「知らない人だけど困っている人がいれば声をかけましょう」でなければいけない。

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