コラム
» 2011年12月20日 08時00分 UPDATE

「好き」を仕事にする、ではなく「想い」を仕事にせよ (1/3)

キャリアや人生をたくましく切り拓く人は「想いを描く」ことをする。「好き」を仕事にすることは悪くはないが、そこには落とし穴もある。

[村山昇,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行う。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 「少年よ、大志を抱け」 (ウイリアム・クラーク)

 「夢見ることができれば、成し遂げることもできる」(ウォルト・ディズニー)

 「思考は現実化する」 (ナポレオン・ヒル)

 「想像力は、知識よりも大事である」 (アルバート・アインシュタイン)

 「僕は生計のために、夢をみる」 (スティーブン・スピルバーグ)

 「心構えした者に、チャンスは微笑む」 (パスツール)

 「アイ・ハブ・ア・ドリーム」 (マーチン・ルーサー・キングJr.)

 「他人のイメージに従って生きることなどできない」(ケビン・コスナー:「なぜ自らが監督となって『ダンス・ウィズ・ウルブス』を撮ることになったのか」と質問されて)

 偉業を成し遂げた歴史上の多くの人たちが、夢や志、想い、願い、理想イメージの重要性をさまざまな言葉に残している。見方を変えれば、彼らはあなたに対して「自分の向かいたい先の未来景色を描いているか」と問うているようでもある。

 世知辛い世の中で、多くの人は各々の人生において、算数ばかりを考える。しかし、人生とは、絵を描くことであり、工作(“ものつくり”という意味で)をすることが本質のように思います。

 そして、結果的に何かを作品として残す。作品とは、目に見えるモノや業績に限らない。自分の人格や自信、充実感のようなものであるかもしれないし、長く心の中に残る想い出や体験かもしれない。いずれにしても、まず「描く」ことこそが大事なのです。

 しかし、その描くことが難しい。平成ニッポンの世は、幸運にも、自分の職業選択に関して何を描いても自由ですよと言われているにもかかわらず(人類史上、こんな幸せな状態はかつてなかったのに)、多くの人はそこに難儀を覚える。

 ピーター・ドラッカーは「先進国社会は、自由意志によって職業を選べる社会へと急速に移行しつつある。今日の問題は、選択肢の少なさではなく、逆にその多さにある。あまりに多くの選択肢、機会、進路が、若者を惑わし悩ませる」と言います。

 職業が多様化し、職種や業務があふれる現代においては、むしろ夢や志を描くという力が衰弱していきます。なぜなら、あまりにも求人情報や採用条件が機械的で、カタログ的な枠でもって仕事を限定するために、働き手はそこに自分をはめ込むことを強要され、結果的に職業・キャリアに対してふくらみのあるイメージを描けなくなってしまうからです。

 就職活動を控えた学生の多くが、そしてすでに職を得て、どこかの会社でサラリーマンをやっている社会人でさえも、あの会社に「どう入るか」、目先の仕事を「どう処理するか」に頭がいっぱいになるだけで、自身がずっと心の奥に抱える問いである「自分はいったい何をしたいのか、何になりたいのか」……それが描けないというのが現実です。

 私は、この状態を非難しているわけではありません。私自身も学生時代は貧困な就職意識でした。ドラッカーも指摘しているように、あまりに過剰な選択肢の中から職業を選び取ることは、大いなる戸惑いなのです。

 『自由からの逃走』を著したエーリッヒ・フロムも、「『〜からの自由』(消極的自由)を勝ち取るのに人類は勇敢に立ち向かったが、『〜への自由』(積極的自由)を最大限生かすことに人類は臆病であり、うまくない」と指摘しました。

 以前、自分の登るべき山を見つけ出す(正確には、つくり出す)ことの重要性を書きました。

その際に、ともかく「もがいてみよ」とも書きました。今回の記事のコアメッセージは、やみくもにもがくのではなく、「想い」の下にもがけ、さらば道は開かれん、ということです。

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