「なめてかかって真剣にやること」の重要さ(2/3 ページ)

» 2011年12月07日 08時00分 公開
[村山昇,INSIGHT NOW!]
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飛び越えた先にあるもの

 で、本当の勝負はそこから始まる。次図に示した通り、飛び越えた壁の後ろは上り坂になっている(たぶん悪路、道なき道)。

 この坂で、「なめてかかった」天狗鼻はへし折られる。多分、松坂選手も自分の小生意気だった考え方を改めているに違いない。怪我やスランプを経験して、相当に試されているはずだ。だがその分、彼は真剣さに磨かれたいい顔つきになった。

 その坂では、いろいろと真剣にもがかねば転げ落ちてしまう。その坂はリスク(危険)に満ちているが、それは負うに値するリスクだ。

 挑戦の坂を見事上りきると、「成長」という名の見晴らしのいい高台に出る。高台からは、最初に見た壁が、今となっては小さく見降ろすことができるだろう。このように壁の向こうの未知の世界は危険も伴うが、それ以上にチャンスがある。

 では、次に、壁のこちら側も詳しくみてみよう(次図)。ここは既知の世界であり、確かに平穏や安心がある。しかし、その環境にひたって変化を避け、挑戦を怠けているとどうなるか……。

 壁のこちら側の世界は実はゆるい下り坂になっていて、本人はあまり気付かないだろうが、ずるずると下に落ちていく。そしてその落ちていく先には「保身の沼」、別名「ゆでガエルの沼」がある。

 ちなみに、ゆでガエルの教訓とは次のようなものだ――生きたカエルを熱湯の入った器に入れると、当然、カエルはびっくりして器から飛び出てくる。しかし、最初から器に水とカエルを一緒に入れておき、その器をゆっくりゆっくり底から熱していくと、不思議なことにカエルは器から出ることなく、やがてお湯と一緒にゆだって死んでしまう。

 この話は、人は急激な変化に対しては、びっくりして何か反応しようとするが、長い時間をかけてゆっくりやってくる変化に対しては鈍感になり、やがてその変化の中で押し流され、埋没していくという教訓である。

 壁を越えずにこちら側に安穏と住み続けることにもリスクがある。このリスクは、壁の向こう側のリスクとはまったく異なるものである。いつの間にか忍び寄ってくるリスクであり、気が付くと(たいてい30代後半から40代)、ゆでガエルの沼にとっぷりつかっている。そこから抜け出ようと手足をもがいても、思うように力が入らず、気力が上がらず、結局、沼地でだましだまし人生を送ることになる。安逸に流れる“精神の習慣”は、中高年になってくると、もはや治し難い性分になってしまうことを肝に銘じなくてはならない。

 さて、私たちはもちろんそうした沼で大切なキャリア・人生を送りたくはない。だからこそ、常に未知の挑戦世界へと目をやり、大小の壁を越えていくことを習慣化する必要がある。

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