「結婚するなら東電社員」だったけど……原発城下町住民のいま東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/4 ページ)

» 2011年12月02日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール

book 『3.11 絆のメッセージ』

 1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。

 著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「週刊 石のスープ」を刊行中。

 5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版した。


 東京電力の福島第一原発の事故から8カ月。2011年もあと残り1カ月となったが、事故収束の見通しははっきりしない。原発事故の廃炉に向けては、11月9日になってから枝野幸男経済産業大臣と細野豪志原発担当大臣が、東京電力の西沢俊夫社長らに具体的な工程表の作成を指示した。それによると、年内に安定的な「冷温停止」状態を維持し、「ステップ2」の段階を終える予定だ、という。

 こうした中、11月12日、細野原発担当大臣が福島第一原発の視察に同行する形で、事故後初めて報道陣の取材が許可された。しかし許可されたのは、内閣記者会、福島県政記者クラブ、外国プレスの代表といった限られた枠でのもので、雑誌やインターネット・メディア、フリーランスには許可されなかった。

 こうした取材制限は内外から批判を浴びた。そのため、外国プレスの代表取材をした新月通信社代表でイランの国際衛星放送PressTV日本支局長のマイケル・ペンさんが、「記者クラブに所属しないフリーランスの記者限定で情報の無償提供」を行った。

2011年11月11日〜12日の福島第一原発同行取材(外国プレス代表取材)の映像

 また、細野原発担当大臣はNHKの番組で、原発周辺で放射線量が高く、住民の帰宅が困難な地域について、「土地の買い上げもしくは借り上げを含めて長期的な対策を立てる必要がある」と述べた。

 一方、警戒区域と計画的避難地域の中には、放射線量が低くなってきていることを根拠に「帰れる地域もある」との認識でもある。しかし、原発労働者や警戒区域で過ごしていた人々の不安は消えたわけではない。

計画的避難地域の飯館村内では雨どいの線量が毎時60マイクロシーべルトを超える地域もある

推進派だったが、事故で考え方が一変したTさん

 東京電力・福島第一原子力発電所で働くTさん(20代後半)は3月11日、同発電所内で被災した。そのことで、Tさん自体の原発に対する考え方に変化が出てきた。賛成派から反対派へと意見が変わってきたのだ。

 「高校卒業とともに原発で働いてきたけど、僕らは東京のために電気を作っていることが誇りになってきた。高校生が夜中にカラオケしても大丈夫なために。もちろん学生のころから、『(原発を)押し付けられてきた』という意識もあった。『危険だから地方に押し付けたんだ』と。

 ただ、3.11以前は、それでも原発推進派でした。火力発電所をつぶして、クリーンな原子力にすればいいと思っていました。海外にもどんどん輸出すればいいと思っていた。でも、原発事故で考えが変わった。まったく安全とは思っていなかったけど、安全対策はできていると思っていた。大丈夫だと思っていても、こうなってしまった」

福島第一原発の正門付近

 福島県双相地区では、高校卒業後に原発関連企業に勤務することは一般的であり、安定的な職業とみられていた。有望な就職先で、「結婚するなら、東電社員」とも言われたりしていた。いわゆる企業城下町だ。企業城下町であれば、東電でなくてもその企業は地域では有望株だ。東電もその1つだった。「発電所はなくなるわけない」と思われていた。

 しかし、その有望株の企業が事故を起こした。それも企業城下町だけでなく、広範囲に何世代にも影響を及ぼす危険性のある大事故だ。

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