立派な評価制度が、人と組織を駄目にする(1/2 ページ)

» 2011年11月16日 08時00分 公開
[川口雅裕,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール

川口雅裕(かわぐち・まさひろ)

イニシアチブ・パートナーズ代表。京都大学教育学部卒業後、1988年にリクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社。人事部門で組織人事・制度設計・労務管理・採用・教育研修などに携わったのち、経営企画室で広報(メディア対応・IR)および経営企画を担当。2003年より株式会社マングローブ取締役・関西支社長。2010年1月にイニシアチブ・パートナーズを設立。ブログ「関西の人事コンサルタントのブログ


 「評価制度は、処遇を決める根拠になるのだから非常に重要で、しっかり評価を行うためには階層別・職種別に望ましい人物像(あるべき姿)を描き出し、あげるべき成果、持つべき能力、求められる働きぶりをできる限り詳しく、かつ漏れなく記述しなければならない」というのが人事マネジメントのセオリーになっている。望ましい人物像から導いた観点や基準を明確に提示することにより、公平で納得性の高い評価を実現させようというわけだ。

 これは、「処遇」の観点から見れば正しい。ロジカルな評価制度があり、厳格にその運用が行われれば、あいまいで、恣意的で、先入観や雰囲気に影響を受けた評価よりは、各々が自分のポジションや報酬に対して納得しやすくなるに違いない。ということで、評価の観点と基準、点数やランクの仕組みを作り、シートの体裁を整え、検討から決定までのフローや会議体、フィードバックまで、立派な制度を作ろうと人事部は一生懸命である。

 しかし、このような取り組みは問題がある。人を漏れなくさまざまな観点から評価することによって、能力の画一化と働きぶりの萎縮が進むことだ。階層や職種ごとに望ましい人材を描き出し、それに基づいて評価基準を定めるのは構わないが、そもそもそのような欠点のない、完璧な人材などいるはずはないし、そのようになれるはずもない。したがって、全員に足りないものが出てくるし、それぞれの苦手な分野が明確になってしまう。

 漏れのない評価基準をそのまま当てはめるということは、「完璧な姿を目指せ」と言っているのであり、不得意や苦手を認めないということに等しい。これを続けていると、当然、能力が画一化してくる。

 また、望ましい姿、完璧な人材は、たいてい会社にとって使いやすく、突出、独断、軋轢(あつれき)、対立などを起こさない、聖人君子のように描かれる。例えばメンバーは、意欲が高く、言うことをよく聞き、自分で考えて動けるし、勉強熱心だ。マネジャーなら、面倒見がよく、チームをしっかりと束ね、自ら成果も出すだけでなく、業務改善にも熱心で、経営感覚も持ち合わせている、といった具合に描かれ、立派な評価基準が誕生する。

 だが、こういう人物像は、あくまで架空の姿だ。なのに、本気になってこんな取り組み姿勢を求めようとする。それは、もともと各々が持っているスタイルや得意なやり方を否定することと同じなので、萎縮した働きぶりになってしまう。

 せっかく立派な評価基準を定め、多くの人が時間をかけて評価の検討・決定に参加し、しっかり運用しているのに、結果的には能力の画一化が進み、働きぶりが萎縮した結果、業績が低迷し、組織にも閉塞感が漂い始めるのでは、何をしているか分からない。

 つまり、評価基準を論理的に構築すべき、というのは「処遇」の観点からは正しいが、「業績の向上」や「組織の活性化」の観点からは間違っているのである。「求める人物像に基づいて評価を行うことによって、各階層、各部署に優れた(欠点のない)人材が揃えば、業績も上がっていく。組織もうまく回っていく」という理屈は、そもそも、ほとんどの人はそんな人材になることはできないという真理を無視しており、単に評価・処遇への不満を抑える効果しかないのが実際なのである。

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