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» 2011年11月11日 12時46分 UPDATE

中村伊知哉のもういっぺんイってみな!:デジタルの波は2つのタブーを消した……で、残りは (1/4)

2011年、融合法制と地デジが達成された。いずれも20年前はタブーだったが、デジタルの波がこの2つを実現させたと言っていいだろう。では、タブーはもう残っていないのだろうか。実はまだ3つばかり残っているのだ。

[中村伊知哉,@IT]

中村伊知哉(なかむら・いちや)氏のプロフィール:

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慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授。京都大学経済学部卒業。慶應義塾大学博士(政策・メディア)。デジタル教科書教材協議会副会長、 デジタルサイネージコンソーシアム理事長、NPO法人CANVAS副理事長、融合研究所代表理事などを兼務。内閣官房知的財産戦略本部、総務省、文部科学省、経済産業省などの委員を務める。1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。通信・放送融合政策、インターネット政策などを担当。1988年MITメディアラボ客員教授。2002年スタンフォード日本センター研究所長を経て現職。

著書に『デジタル教科書革命』(ソフトバンククリエイティブ、共著)、『デジタルサイネージ戦略』(アスキー・メディアワークス、共著)、『デジタルサイネージ革命』(朝日新聞出版、共著)など。

中村伊知哉氏のWebサイト:http://www.ichiya.org/jpn/、Twitterアカウント:@ichiyanakamura


※編集部注:本記事は2011年11月9日に@IT「中村伊知哉のもういっぺんイってみな!」で掲載された記事を転載したものです。
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 2011年、融合法制と地デジ、この2つが達成された。いずれも20年前はタブーだった。

 通信・放送融合の議論が政府で始まったのは20年前、1991年。私はその最初の担当になった。担当といっても、産業界に働きかけたり予算を得て推進したりするのではない。腰が定まらない役所内部の意見調整だ。

 もちろん私は推進派。技術的に必然であり、放送コンテンツと通信ネットワークという日本の強みを合体する国益を信じていた。だが当時の郵政省は融合に反対。議論はタブーだった。放送担当が反対の立場だったからだ。理由は簡単、業界が反対していたから。

 審議会の報告書に「融合」と書けるようになるまで1年かかった。それでも、1年かけて、局長同士の折衝も重ねて、ようやくタブーから「議論容認」に移った。「推進」ではない。議論は許す、というところまでだ。当時の郵政大臣は小泉純一郎さんだった。

 政府が「推進」に転じたのは2005年。地デジを全国に行き渡らせるために、ブロードバンド配信もいいよね、ってことで、放送が通信に助けを求めた。同じ年にホリエモンと三木谷さんが放送局を買いたいって言い出したんで、放送局のガードは堅かったが。小泉さんは総理になっていた。

 通信・放送の融合法制を作ろうという議論が始まったのは、そのころだ。私たちは通信・放送のタテ割り制度をコンテンツ・サービス・インフラの横割りにし、8本の法律を「情報通信法」に一本化するという抜本改革を唱えたので、風当たりも強かった。「融合」と発言すると放送業界からは「連携」と言い直すようたしなめられたり。これがもとで放送局の仕事を外されたこともある。

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