年収100万から1億円まで――フリー女子アナ界の生き抜き方とは嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/4 ページ)

» 2011年11月04日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

長期不況で逆にフリーアナへの発注が増加

 どんな業種であれ、いつ果てるともなく続く不況は、フリーランスで仕事をする人々の生活を著しく圧迫している。フリー女子アナも同様なのだろうか?

 「いいえ、フリーアナウンサーへの仕事の発注は逆に増えているんですよ」

 つい最近、ワタナベエンターテインメントグループの番組制作会社ザ・ワークスの霜田一寿常務を取材し、番組制作費大幅削減の現実を思い知らされたばかりだ。テレビやラジオに限らず、それまで外部委託していたMCやリポートの仕事は極力、局アナなど社員でまかなうようになっているのでは?

 「すべての業務を自社内でまかなえるわけではありません。どうしても外部に発注せざるを得ない場合、従来ですと、プロダクションなどに発注し、所属するアナウンサーを派遣してもらっていましたが、それだとコスト的に厳しいということで、プロダクションに所属しないフリーアナウンサーに委託するケースが増えているのです」

 言い方は良くないが、どこにも所属していないフリーアナの方がはるかに安く使えるということで、発注が増えているということだ。

広告費の減少が制作費削減の原因となっている(クリックで拡大、出典:電通)

 そこで、倉橋さんに、年収を恐る恐る聞いてみた。

 「今は育休で仕事をセーブしているのですが……」と前置きしながら、「JTBでチームリーダーを務めていたころの2倍以上ということにしておいてください」と笑う。

アナウンサーなのにミニスカ&ルーズソックスでケータイ販売!?

 JTB時代、静岡朝日放送『とびっきり!しずおか』や静岡シティエフエム『voyage+voyage』にレギュラー出演していた倉橋さん。入社4年目に退職してアナウンサーになったわけだが、その際、どのようなアクションを起こしたのだろうか?

 「退職してすぐ、私は大阪の芸能プロダクションに入りました。一般に、登録料やレッスン料などの名目でお金のかかるプロダクションが多いのですが、そこは、一切、お金がかからなかったので所属することにしたのです。

 でも、最初の仕事は、ミニスカートとルーズソックスをはいて携帯電話の宣伝をするキャンペーンの仕事だったんですよ(笑)。朝8時から夜20時まで働いて日給8000円です」

 「果たしてこれがアナウンサーの仕事なのか?」といぶかしく思ったことだろうが、倉橋さんはここで意地を見せる。

 キャンペーンガールの中には、渡された原稿を読むだけの人もいた。しかし彼女は原稿を暗記し内容を把握した上で、自分の言葉としてお客さんに訴えることを心掛けたそうだ。

 小さな仕事ではあったが、彼女の仕事ぶりは派遣先で評判を呼び、プロダクションの上層部からも一目置かれるようになったという。

 やがて、念願のテレビ番組への出演のチャンスが訪れる。

 「KBS京都からプロダクションに、『京都美容最前線』という新番組のリポーターが欲しいということでオーディションの案内が来たのです。社長から『受けてみたら?』と言われ、私のプロダクションからは5人ほどが受けました。ほかのプロダクションからもかなりの人数が受けたようですが、書類審査を通過したのは、私を含め全部で8人ほどでした。

 続いて番組プロデューサーとの面接があり、質疑応答やフリートーク、そして原稿を渡されて自由にリポート……という内容でした。

 結果的に、運良く私が選ばれ、番組のレギュラー出演者として、その番組が改編でなくなるまでリポーターを務めさせてもらいました」

 難関を突破できた一番の要因は何だったのだろうか?

 「多分、プロデューサーの好みのタイプだったんだと思います。というのも、オーディションを受けていたほかの女性たちと比べると、私が一番地味だったんですよ」と爆笑する。

 ゲスト出演と異なり、レギュラー契約の場合には、1回当たりの出演単価が大幅にアップすると言われている。

 「いえいえ、全然そんなことはありませんでしたよ」と手を振りながら、厳しい実情を話してくれた。

 「どこにも属さない場合には、そういうおいしい話にもなりますが、そのころはすべてプロダクションを通しての契約だったので、プロダクションの取り分を引くと、私に入るお金は1日6000〜8000円ほどでした」

 その後、トークショーや企業イベント、ブライダルのMCなど、倉橋さんのところには、次々に仕事が舞い込んでくる。

 しかし、収入的には安定せず、月平均7〜8万円がせいぜいだったという。テレビ局などからプロダクションに仮に20万円支払われたとしても、倉橋さん本人に入るのは1万円という現実に直面し、彼女は「このままでは食べていけない」と苦悩する。

 やがて下した彼女の決断。それは、プロダクションを辞めて、完全なフリーランスでやっていくということだった。

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