社会派フィクション「2024年 F本氏の独白」ちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2011年10月24日 20時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年11月22日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 東京近郊、都市圏への通勤圏内にあるS市。

 「3期12年務めた任期も来月で満了する」

 市長の“F本”は感慨に満ちた視線で、古びた市庁舎の4階にある市長室の窓から街の様子を眺めていた。

 F本は思った。満足な12年だったと。立候補して公約を掲げた時、市民の多くが戸惑いと不安を口にした。近隣の市長や県知事はもっと直接に反対を表明した。「本気なのか?」と多くの人が驚いた。

 自分も若かった。もうこれしかない。そういう気持ちだった。2008年に起こった世界同時金融危機で日本全体が不況に陥っていた。S市の工場でも期間工は一斉に職をとかれ、街に失業者があふれた。翌年の選挙で自民党は政権を失い、後を継いだ民主党は迷走を続けた。日本はダッチロールしながら暗黒の闇に落ちていった。

 F本が市長に初当選したのは2012年だ。ふるさとのS市は疲弊し、不況のどん底にあった。F本は当選以来、思い切った手腕でこの街を立て直してきた。彼が過去12年でやったこと。それをひと言で言うならば、「S市を“格安生活圏”として再構築すること」だった。

 F本はまず“レント・コントロール”という条例を作った。米国の例にならい、家賃の値上げを条例で管理するものだ。これによりS市のアパートは家賃の値上げができなくなった。F本はそれに加え、礼金や敷金の禁止、週ごとの賃貸契約や又貸し、共同賃貸を認める“S市特別賃貸契約書”を使うよう市内の家主に要請した。

 もちろん強制ではなく、動機付けとして税制優遇なども行い、大家が自主的にこの契約書を使うよううながした。老朽化したアパートの空室率の高さに悩んでいた家主の間に、新しい賃貸契約は少しずつ浸透した。

 また、S市は電力会社と話し合い、市内の電線や施設のメンテナンス期間を国の基準の倍に緩和した。例えば、他地域では3年ごとに取り替える電線もS市内では6年使われる。水道に関しても同様の工夫をした。これによりS市の水道代、電気代は隣接する各市より3割安くなっている。

 日本のメンテ基準は非常に厳しいので、S市で水道管破裂や停電が増えたわけではない。いや、実際には1年に1度くらいトラブルは起こっているのだが、市民は納得している様子だった。

 また、S市内の街灯は今やすべて個別の太陽光発電方式になっていた。そのため、日照時間の短い冬場は午前3時には街灯が消えてしまう。しかし、年間数億円もかかっていた街灯電気代が節約できた。

 S市には、中古家具店や中古衣料店がたくさんあるし、家電店には日本製品がほとんどなく、韓国や中国の商品ばかりが並んでいた。単機能でシンプルかつ格安の家電の品揃えが豊富で、休日には他都市からも買い物客がやってきてにぎわっていた。また、S市には本屋は1軒もなく、あるのはブックオフなどの中古品販売点だけだった。

 食べ物にしても、S市のスーパーで売られている野菜は、キュウリは曲がっているし、トマトは大きさが違うなど不揃いのものばかりだった。しかし、価格は他エリアより4割近くも安い。

 S市で生まれ育った子どもは、ほかのエリアではなぜイチゴがパックの中ですべて同じ方向を向いているのか理解できず、たまに他県のスーパーにいくと驚いてまじまじとイチゴのパックを見つめてしまう有り様だった。

 また、日本が輸入するミニマムアクセス米の大半はS市が購入し、公的な施設で使うほか、一般の定食屋にも卸していた。市役所の食堂や市が運営する施設の食事はすべてミニマムアクセス米だ。米のコストが4分の1以下というのは本当にありがたいことだった。

 「あれはもう少し規制を強くする必要があるな」。F本が唯一気になっているのは、F本がS市に誘致した大規模な治験施設だった。薬は欧米など海外で長年の使用実績があっても、日本で認可される前には日本で実際に人に使ってみての検査も必要だ。一定の条件の患者、もしくは健康な人が集められ、半分は砂糖水などの偽薬、半分は薬を投与され、結果を比較して実際の効果を計るのが治験である。

 これら治験では薬や事前の診察はすべて無料で、薬を投与した後はデータを集めるため、患者は一般の場合より細かく事後経過を観察される。高い薬を購入する財力のない人たちには悪い話ではない。しかも薬の多くは、すでに欧米で何年も使われているものなのだ。

 また、治験の協力者には報酬が支払われるので、アルバイトとして参加する人もいる。適切なルールが守られればいいのだが、それをすり抜けて“体を売りに来る”若者も出てきた。

 彼らの将来を考えると、短期間に何度も治験に参加できないよう規制するなど、しっかりしたルールが必要だ。それらを管理するためのデータベースを構築しようとしているのだが、これは自分の任期中には終わりそうにない。「もう1年早くとりかかるべきだったな」と頭の中でつぶやいた。

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