浪江町の市街地へ向かうと、いまだに地震の被害がそのままだった。銀行のそばにはやせた猫がいて、ベビースターラーメンを食べていた。誰かが猫の餌として置いていったのだろう。
また、防護服を着た住民が一時帰宅で、家に置いてある物を取りに来ていた。その自動車には、GPSの発信器が取り付けられていた。
浪江駅前の自動販売機では、まだ電気が通じていた。以前、ここに来た時には温かい缶コーヒーを買った。今でも自販機は動いているが、ほとんどが売り切れだった。一時帰宅中の住民が駅前でいったん降りるため、ここで缶ジュースを買うのかもしれない。
一方、駅前の新聞販売店では、震災や原発事故を伝える新聞が配られないまま放置されていた。この販売店の前にある自動販売機では、冷たい缶コーヒーが買えた。駅から少し離れているため、ここまでは住民は買いにこないのかもしれない。
浪江駅の5キロほど東にある請戸漁港では、ガレキは整理されつつあったが、いまだに漁船が散乱していた。請戸漁協の事務所や近くの小松屋旅館の残骸はそのままになっていた。
岩手県や宮城県のほか、福島県の警戒区域外では、津波被害の区域であっても、ガレキの中から何かを探そうとする住民や復興工事をする作業員、ボランティアの姿を見かけた。しかし、請戸付近では誰ひとり会わなかった。原発災害の実態を物語っている。
私が請戸を訪れた9月30日、政府は福島第一原発から20〜30キロ圏の緊急時避難準備区域を解除した。だが、警戒区域がどうなるのかはまだ見通しが立っていない。
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大震災の被災者たちが、震災前の日常を取り戻そうとしている。仮設住宅に生活拠点を移す人が増えているが、そこでもがき苦しんでいるケースも多い。震災後の生活を必死に建て直そうとしている人たちを追った。
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