「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」の銚子電鉄は今どうなっているのか?嶋田淑之の「リーダーは眠らない」(3/6 ページ)

» 2011年10月07日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

「銚子電鉄のぬれ煎餅」の仕掛け人は、新潟の老舗旅館の元経営者

 「私は新潟県出身で、20年以上にわたって県内の温泉地のホテルや旅館の経営に携わっていたんですよ。最初が、越後岩室温泉の「ほてる大橋」、その後は、弥彦温泉の「名代家(なだいや)」です。

 やがて、宿の改装工事で仕事を発注した内野屋工務店が銚子電鉄を買収することになったのですが、その時、同社の内山健冶郎社長から『観光事業を知っている人を』と乞われて千葉県に赴いたのが、私と弊社の出会いです(1988年)。

 しかし、最初の数年間は内野屋工務店でゴルフ場開発などの業務に従事し、銚子電鉄専業になったのは1994年でした。

 その時、私は、銚子市の世帯当たりクルマ台数や、止まらない人口減少などの実態を目の当たりにして、『鉄道事業だけをやっていては続かない』と痛感しました。

 そこで何か良いアイデアはないかと探していたところ見つけたのが、当時、銚子土産として評判の良かったぬれ煎餅だったんですよ」

 小川さんは、銚子電鉄の女性社員3人を、ぬれ煎餅で有名なイシガミに弟子入りさせ、同社から技術指導を受けさせて、ぬれ煎餅の自社製造・販売へと踏み切った。

 温泉地のホテル・旅館業を通じて、観光ビジネスの勘所を押さえていた小川さんは、新規参入は困難とされていたJRのキオスクや高速道路のパーキングエリアなどでも販売を開始するなど、数多くのチャネルの開拓に成功。

 銚子電鉄の本社がある仲ノ町駅構内の同社工場では、朝の7時から深夜24時まで女性たちを中心にフル稼働し続ける日々が続いた。その甲斐あって、ぬれ煎餅事業は、売り上げを大きく伸ばし、やがて、鉄道事業の赤字をぬれ煎餅が補てんするという同社独特の経営構造ができ上がっていったのである。

仲の町駅の銚子電鉄本社近くにあるぬれ煎餅工場

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