相馬市の相馬東高校近くの仮設住宅には、3月から取材をしている相馬市磯部の人たちが暮らしている。磯部小・中学校までは遠いが、通学用のバスが出ている。買い物には便利で、比較的明るいムードが漂っている。
9月12日。小和田茜ちゃん(9)の部屋を訪ねたら、まだ学校から帰ってきていなかったが、弟と妹は家にいた。母親の育子さんに話を聞くことができた。
育子さんたちは6人で住んでいる。両親と育子さん、子どもが3人だ。そのため、3部屋という間取りになっている。子どもたち専用の部屋はない。
「夏は暑かったので、エアコンをつけていました。あと、日中は買い物に出かけるなどして、なるべく部屋にいないようにしました」
小和田宅では犬と猫を飼っていたが、猫は津波に流されてしまった。『避難所の閉鎖、仮設住宅暮らし――震災から3カ月、相馬市と旭市の今』でも取り上げたが、一番下の妹は「ミル(猫の名前)くんは天国に行っちゃったのかな?」と言っていたようだ。今では「天国から帰ってくるかもしれないね」と言っているという。
犬は震災当日、自宅近くの、やや高台になっている工場につないでいた。その工場も流されてしまったものの、犬は生き延びた。その犬が8月ごろ、突如、いなくなったのだ。必死で探したが、見つからないでいた。すると近所の人が、元の自宅付近を歩いているのを見たとの証言があった。
「街中は嫌だったみたいで、磯部に歩いて行ったみたいです。戻っても家もなく、草が生えているだけなんですが。犬も帰りたいんだなと思いました。子どもたちも『犬も自分の家をちゃんと分かってるんだね』と言っていました」
一方、仮設住宅での生活は2年間と決められている。その後、どのような計画でいるのだろう。
「2年後に家を建てないといけないけど、津波で流された家があるところは危険地帯ですよね。土地を買い上げるという話もあるけど、なんとか磯部に家を建てたい。磯部は生まれ育ったところ。自分の故郷に住みたい」
故郷にこだわりを持つ人たちは、被災していた今も、また元の土地に戻りたいと願っている。その願いがかなうのはいつになるのだろうか。
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