避難所から仮設住宅へ――被災者の姿を追う東日本大震災ルポ・被災地を歩く(3/5 ページ)

» 2011年09月30日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

仮設に入って「人と会うのは少なくなった」

 スーパー堤防があった岩手県宮古市田老地区。堤防は崩れ、市街地はほぼ全滅だ。「グリーンピア三陸みやこ」が、同地区の避難所になっていたが、6月20日、閉鎖した。避難民たちは仮設住宅に引っ越していた。

避難所になったグリーンピア三陸みやこ

 5月12日に避難所を訪れた時、塾講師の武田直人さん(37)と知り合った。武田さんは地震が起きた当初から素早く対応し、津波から逃げることができた。

 避難所では、ボランティアの人たちによって、子どもたちの学習スペースが作られた。武田さんは6月までそのスペースで中学生に学習ボランティアをした。また子どもたちとサッカーをするなど、ふれあいを大切にしていた。しかし、経済的には苦しい。塾も被災したことで収入源が途絶えた。そのため、節約するしかない。

 「食べ物や寝るところは、避難所にある。ぜいたくしなければ生活はできる」

 そう話をしていた武田さんに、7月28日、再び会いに行った。しかし、仮設住宅に移っていたために、どこにいるのか分からなかった。仮設住宅で遊んでいた小学生たちに聞き、場所が分かった。当初は母親と住んでいたが、母親は弟が住む内陸部に移ったため、1人暮らしだ。

 「仮設に移ると、孤独になると言われていた。確かに人と会うのは少なくなった。でも、仮設に入ったのはよかった。もう少しで震災前の状態に戻れると思う」

 家賃は無料だが、水道・光熱費は自己負担。まだ収入源がない武田さんは、被災者への支援情報を細かくチェックする。サウジアラビア政府からのガス代支援(3000円)に応募した。購入を考えていた扇風機も抽選待ちだ。

7月に訪ねた時の武田直人さん

 仮設住宅の暮らしはどうなのか。

 「隣の声は聞こえないが、シャワーとか足音は聞こえる。それと、結構、大きな余震があるので、ドアの建付けが心配。やばいですよね、これ」

 と言いながら、ドアの開け閉めを繰り返す。余震の影響で住宅が傾いたためなのか、ドアの開閉がぎこちない。今後、生活の糧はどうするのか。

 「(塾を)ゼロからやるとなるとお金がかかる。仮設住宅は住居目的だから、塾には使えない。今考えているのは、講義をビデオで撮って、DVDにして売れないかを考えている。宮古市では塾を15年前からやっていたので、名前を言えば、購入してもらえるかも」

 震災時には、個人経営の塾などの自営業者に対する助成金はない。そんな中、武田さんは仮設住宅に移って、試行錯誤する中で生活再建の方向性が見えてきた。

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