コラム
» 2011年09月28日 08時00分 UPDATE

「人材」と「人財」の違いを考える (1/3)

「ジンザイ」には2種類ある。事業組織にとってヒトを“材”として扱うか、“財”として扱うかは大きな違いだ。そして働くひとりひとりにとっても、自分が“材”になるか“財”になるかは人生・キャリアの大きな分かれ目となる。

[村山昇,INSIGHT NOW!]
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著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行なう。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 ダイヤモンドには2つの「価値」側面がある。つまり、ダイヤモンドは高価な宝石として取り引きされる一方、研磨材市場においても日々大量に取り引きされている。前者は「財(たから)」としての価値が扱われ、後者は「材」としての価値が扱われているのだ。1粒1粒のダイヤモンドは産出されるやいなや、「財」商品に回されるか、「材」商品に回されるか決められてしまう。

 では、この両者の境界線はどこにあるのか? ――それをひと言で表せば「代替がきく」か「きかない」かである。

 「財」はその希少性・独自性から代替がきかない。だから大粒のダイヤモンドは宝飾品として重宝され、高い値段がつく。石によっては、家宝として代々受け継がれるものもある。一方、研磨材として利用されるダイヤモンドは、その1粒1粒の大きさや品質に特出したものがなく、その採掘量は多い。その硬いという性質から研磨材に回されるわけだが、使い減ってくれば、やがて新しいものに取り替えられる運命にある。消耗品としてのダイヤモンドの姿がそこにはある。

代替されるから「材」、代替されないから「財」

 ダイヤモンドにみる「財」と「材」の価値差は、私たちひとりひとりの働き手にもまったく同じことが当てはまる。「その仕事はあなたでしかできないね!」と言われる人は、代替がきかないゆえに「人財」である。逆に「その仕事はあなたがやっても、ほかの人がやっても同じ」と言われてしまう人は、代替がきくゆえに「人材」なのだ。

 景気に左右されず、いつの時代にも「財」としてのヒトは足りないものだ。ピーター・ドラッカーは『プロフェッショナルの条件』の中で医療機関を例に出し、病院には技術機器が多く投入されているが、ヒトは減っていない。逆にそれを使いこなす高度で高給なヒトが余計に必要になっている旨を書いている。

 労働力は今、はっきりと二極化していく流れになっている。人「材」は若くて安い労働力、もしくは機械に取って代わられ、飽和していく。その一方、人「財」はかけがえのない価値を持つがゆえに、ますます尊ばれ、逼迫(ひっぱく)していく。自分が「材」に留まるのか、それとも「財」に昇華していくのか、ここが人生・キャリアの重大な分かれ目となる。

 「Always be a first-rate version of yourself, instead of a second-rate version of somebady else(他人の物真似で二流でいるより、自分らしくあることで一流でありたい)」――ジュディ・ガーランド(米国女優)

ヒトは資源か資本か

 最近、名刺交換をすると、「人財開発部」とか「人財育成担当」とか、“人材”という表記ではなくて、“人財”という漢字を当てる会社が増えてきたように思う。これは、それだけヒトが重要だと認識する組織が増えてきた流れであるのだろう。

 私たちの家の中には、火事などで消失してしまいたくない物がたくさんある。成長とともに使い慣れてきたタンス、思い出の詰まった写真アルバム、海外で買ってきたお気に入りの食器、プレゼントでもらった置時計、新品のスーツ、最新機種の大型液晶テレビ、データを蓄積したPC……これらはみんな「家財」である。財(たから)の価値がある。

 同様に、組織で働くヒトは大事な「財」である。だから「人財」と書きたい。「人財」という表記は、ヒトを大切に思いたいという意思表明なのだ。

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