(続)スティーブ・ジョブズはどこにでもいる遠藤諭の「コンテンツ消費とデジタル」論(1/4 ページ)

» 2011年09月15日 21時20分 公開
[遠藤諭,アスキー総合研究所]

「遠藤諭の『コンテンツ消費とデジタル』論」とは?

 アスキー総合研究所所長の遠藤諭氏が、コンテンツ消費とデジタルについてお届けします。本やディスクなど、中身とパッケージが不可分の時代と異なり、ネット時代にはコンテンツは物理的な重さを持たない「0(ゼロ)グラム」なのです。

 本記事は、アスキー総合研究所の所長コラム「0(ゼロ)グラムへようこそ」に2011年9月14日に掲載されたコラムを転載したものです。遠藤氏の最新コラムはアスキー総合研究所で読むことができます。


 前回のコラムに引き続き(関連記事)

 スティーブ・ジョブズのことで、私がどうしても連想してしまうのは、映画『地上(ここ)より何処(どこ)かで』(1999年、米国)である。原作のモナ・シンプソンは、ジョブズの2歳少し下の実妹で、彼女の自伝的小説がこの映画のもとになっている。

 ストーリーは、娘を女優にするために、田舎からビバリー・ヒルズに引っ越してきた親子を軸に進んでいく。自分の思いどおりにならないと気がすまない母親と、女優になろうとはカケラも思っていない娘。ただし、養子となったジョブズにあたる人物は出てこない。

 母親はどこまでも楽観的で、強引で、かんしゃく持ちだが、気が利いているものが好きで、お金もないのにみんなにクリスマスプレゼントをあげてしまったりもする。あるとき、アパートの電気を止められてしまうと、彼女は、「こういうときはおじいちゃんが言っていたとおりに」などと言い出す。そして、フランス料理店に出かけるのだ(お金持ちと出会うためか、元気を出すためか)。

 どこか『ニューヨーカー短編集』(早川書房)にでも出てきそうな、誰もが成り上がりだった時代のアメリカ的メンタリティを感じさせるものがある。

 このお話で描かれているのは、たぶん、ジョブズがアップルの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックとカリフォルニアで出会った頃のことだろう。親子のストーリーを見ていると、勝手な話だが、ジョブズがほんの少しだけ身近な存在のように思えてくる(自伝的とはいえ、フィクションとして書かれたものではあるが)。

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