みんなちがって、みんないい――画一性の呪縛から抜け出せちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

» 2011年09月05日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2009年7月4日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 NHK系列で「みんなの体操」という5分くらいの番組があるのですが、この番組を見るたびに「日本はホントに見かけが揃っていることが好きな国だなー」と思います。出てくるアシスタントの女性が、ウエアはもちろん、背格好から髪型、化粧法まで酷似していて、誰が誰だか分からないくらい似ているからです。

 同じ番組を欧米で作るなら、「差別じゃないか?」と言われないよう、できるだけ「見かけの多様性」を確保しようとするでしょう。

 けれど日本では反対です。「とりあえず見かけを揃えよう」という気持ちが強いです。以前、「留学生が肌の色順に並ばされた」という話を書いたことがあるのですが、これも差別意識というより「色が揃っていた方がきれいじゃん」程度の考えだったのではないか、と思います。「見かけが揃っていること」に美意識を感じる文化があるのかもしれないとさえ思います。

 外国でスーパーマーケットに行くと、野菜売り場でも果物売り場でも「いろんな大きさの野菜や果物があるなあ」と驚きます。日本のスーパーでは野菜も果物もあまりにきれいに見かけが揃っているため、不揃いな野菜を見慣れていないからです。

 さらにイチゴやさくらんぼのパックになると、日本ではすべての粒が同じ方向を向いて並んでいます。「高級品とは揃っているもの」という感覚があるのか、山形のさくらんぼは揃えて売られているのに、アメリカンチェリーはぐちゃぐちゃで売られているのが面白いです。

 小学校や中学校で制服を着せるのも同じかもしれません。「揃っているものは質が良い」という価値観があると思います(完全に誤解だと思いますが)。

 だから日本は、同じモノを大量に作るベルトコンベア組立型の産業はすごく強いです。テレビとかデジカメとかネジとか、設計通りに寸分違わぬ“まったく同じモノ”がどんどんできてきます。

 手先が器用とか細かいオペレーションが得意という理由もあるでしょうが、根底には「揃ってないと美しくない」という「美的感覚」もありそうです。「揃っていること」へのこだわりが強いから、ああいう工場の生産性が高いのでしょう。

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